3月11日金曜日の地震から、一週間が経ちました。
最初の週末は、自宅および研究室で崩れた本の後片付けや、動いた家具の据え付け直しなどをしていました。ところが、背伸びをして天井近くでの作業を重ねていたからでしょうか、まずいことに腰痛になってしまいました。度重なる余震、頻繁に流れる緊急地震速報の警告などのたびに、身構えてしまうのも、腰痛を悪化させたかもしれません。
そうこうしているうちに(地震の翌日以降)、スーパーから、パン・惣菜・弁当・カップラーメンを皮切りに、日配食品、コメ、乾麺などもあっという間になくなっていきました。不安心理からの買い占めによるものでしょう。ただし、わたしの自宅の近くでは、地震で断水した地域があり、断水となると調理が難しいですから、これらの地域の方々が、調理せずに食べられるものを大量に買い出しにやってこられたようで、これが店頭での品薄という事態を悪化させたようです。
毎日の食料の入手にきわどい思いをする日々が続くなかで、追い討ちをかけるように計画停電。あったりなかったりですが、停電の前後に電気を要する家事をこなしつつ、停電前にはパソコンを切っておく必要がありますので、ちっとも仕事にならない状況です。そんなこんなで、あっという間の一週間でした。
しかし職員の方はもっと大変だと思います。何せこの間、大学内の停電と断水、(さらに、ひょっとするとろくにありつけない食事)という状況のなかで、日常業務をこなしつつ、合格手続きやら、入試・卒業式の予定変更に伴い発生する業務などをこなしているわけですから。今日は学長から、大変丁寧に労をねぎらうメールが教職員宛に配信されました。学長の気配りに、深く感じ入りました。
わたしは、十代の頃に、三陸地方の沿岸部に住んでいました。今回の被災地の一つです。この地の友人との連絡がまだ取れていませんが、公共機関の職員ですから、きっと被災者の支援に走り回っているに違いないと、固く信じています。
ところで首都圏での生活に関連して一言触れると、今回の地震と停電で、何か特定のものに集中・依存するリスクを、首都圏民は「皮膚感覚」で理解できるようになったのではないかと思います。電力供給源の一極集中(福島の原発に依存しすぎだった)。電力というエネルギー源への一極集中(ガスを使わないオール電化では、停電で煮炊きも暖房もアウト)。そして首都機能そのものの一極集中。特定のものに集中・依存せず、いろいろなものに分散させておくのが、何かあった時に被害を小さくするカギであるように思います(したがって、日本経済の低迷で、すっかり聞かなくなった首都機能移転論が、再活発化するかもしれません)。じつはこれは思想も同じです。特定の考え方以外を排除するような社会は、効率が良いように見えて、流れが変わったときに、太刀打ちできなくなります。多様性が大事です。
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