2012年6月27日水曜日

ゼミのOGが研究室を訪ねてくれました

このところ、「超」がつくほどヒーヒー言っています。というのも、給与の大幅な削減という案が大学当局側から降って来て、それへの対応に組合の役員として追われているから、というのが大きいのですが、その合間を縫う形で6/21木曜日から6/24日曜日まで沖縄に出張していたりもしまして、体力的にもきつかったからです。

ちなみに6月23日は沖縄では慰霊の日で、沖縄にとっては特別な日です。今年は復帰40周年という節目の年、なかであの危険なオスプレイを普天間に配備という、ありえない事態が進行していくなかで、この慰霊の日の様子を現地のメディア(新聞)報道を通して知ることも、ついでながらできて、本当に良い時に訪問できたと思っています。この慰霊の日の沖縄での報道と、本土での報道とは、あまりにも違うのです。

さて話を本題に戻すと、ヒーヒー言いながらでも授業はきちんとやります。その授業を終えて、研究室で3年生のゼミ生と就職についての話をしていたところに、ちょうどこの春に卒業したOGが訪ねてくれました。聞くと仕事の帰りだそうで、今日は午後から年休を取ったそうです。ご丁寧にお土産まで持ってきてくれました(どうもありがとう!)。いろいろと仕事の話を聞かせてくれました。「卒論で統計データ処理のためにMS-Excelに慣れたのが、社会人となっていまの職場での仕事に役に立っている」と言われまして、教員としてはうれしかったです。

あともう一つ、面白かったことがりました。それは、ちょうどその場にいたゼミ生に何か就職活動のアドバイスをしてくれとこのOGに頼んだところ、このOGが言ったことが、その直前まで私がゼミ生に言っていたことと殆ど同じだった、ということです。示し合わせたわけでも何でもでもないのですが・・・。それにしても、同じメッセージをゼミ生に伝えるのでも、私が伝えるよりも、ちょっと年上のゼミの先輩が伝えるほうが説得力が高い(こともある)、ようです。私としては、これは教員として悲しむ事では別になく、むしろ同年代同士での学びあいのほうが重要なこともある、という一例だと思っています。こういう、OB/OGと現役のゼミ生との出会いの場、交流の場を作っていくのも、今後の課題かもしれません。

2012年6月11日月曜日

千葉大ユニオンの役員になりました

今日は、千葉大ユニオン(千葉大の労働組合)の定期総会がありました。

じつは今年6月から、私は千葉大ユニオンの事務局長となることが、既に過日の信任投票で決まっていました。今日は、信任された新執行部の一員として、定期総会にて、今後1年間の予算の説明をし、また簡単な挨拶も述べました。大学を取り巻く状況が厳しくなっており、給与の削減という話も出てきていますので、頑張らないといけません。

組合の使命としては、労働条件の維持改善は当然として、もうひとつ、経営のチェックというのがあると思っています。特に国立大学の場合、民間企業のように自由に給与体系をいじくることができませんので、後者の経営のチェックの重要性が相対的に増してくると思います。余談ですが、昨年オリンパスの不正会計が明るみに出たとき、「なぜ組合は黙っているのだろう」とずっと思っていたのですが、調べてみたら、じつはあの逮捕された菊川社長という人は、もともと組合の委員長だったそうです。つまり組合からすると、社長が元委員長なので、声を上げにくかったのでしょう。でも、これではよろしくないわけです。チェックのない権力が腐敗しがちというのは古今東西共通ということをかみ締めながら、任務にあたりたいと思います。

もう一つ、組合の役員をやることについてです。これについては、「時間を取られる」、あるいは「そんな時間があったら、論文の一つでも書かねば・・・」と敬遠する人が圧倒的だと思います。たしかに組合活動で時間を取られると、生涯の論文執筆本数が1本か2本は減るかもしれない。ただそれが研究者として決定的なロスかと問われると、私にはそこまで言い切る自信がありません。また、そうやって自分の時間を研究に費やしてみようとしたところで、肝心の生活のための糧を得る自分の職場がガタガタになっていったりしたら、研究どころではなくなってしまいます。これは、現下の状況では、必ずしも杞憂とは言えなくなっているように思います。

このようなことを考えるようになったきっかけの一つは、少し前にイマニュエル・ウォーラーステイン『ヨーロッパ的普遍主義』(明石書店、2008年)、を読んだことにあります。そこには、大学の厳しい将来像が示されていました。以下に引用してみます。

「20年から50年ほど先のことを考えるならば、次の3つのことが起こりうるということは、私には明らかなことのように思われる。〔第一に〕近代的大学は、知の生産の主要な場では(再生産の場でさえ)なくなってしまうということは(中略)、ありうることである」。「〔第三に〕社会科学の諸個別科学の制度は崩壊し、行政当局の支配下に入るか、あるいは場合によっては行政当局によって根本的な再編(それがどういったかたちになるかはきわめて不透明だが)を強いられる可能性がある」(同書、p.136)。

いつもながら、ウォーラーステインの提示する将来像は、いろいろな事を考えさせてくれます。行政当局による根本的な再編というのは、たとえば財政状況が極度に悪化して、国民への行政サービスが大きく切り下げられるような時に現実化するかもしれない、などと想像してしまいます。

大学を取り巻く構造をロングスパンで考えながら、1年間、役職をまっとうしたいと思います。

2012年6月2日土曜日

国際開発学会春季大会@横浜

国際開発学会の第13回の春季大会のために、横浜国立大学まで足を運びました。国際開発学会に出かけるのは久しぶりで、春季大会への参加はよく考えたら初めてでした。

学生時代に4年間横浜に住んでいた私ですが、横浜国立大学に出かけるのはじつは初めてでした。横浜国大の常盤台キャンパスは、横浜駅からバスで20分ぐらい(または地下鉄+徒歩で20分ぐらい)のところにありますが、ご承知のとおり横浜は坂がとても多いところで、横浜駅から横浜国大まで向かう途中も、結構な上り坂となっています。のみならず、大学の最寄のバス停を降りてから、キャンパスにたどり着くまでにも、またまた坂を上らなくてはなりません。当日は比較的涼しかったのですが、それでも汗が滲みそうでした。暑い季節には、教室にたどり着く前に汗ダラダラになりそうです。最寄り駅から近く、しかも道もフラットな千葉大は、この点でたいへん恵まれていることに、気づかされました。もとより坂が多いと、足腰は鍛えられそうです。また、おそらくキャンパスからは富士山が見えるのではないかと思います。公平を期すために、こういうメリットが横浜国大にはあることも、記しておかねばならないでしょう。

学会のあとは、在横浜の知人と食事をしてきました。なんでもこの方は、高校のときに横浜国立大学に出かけて、その急坂に驚き、横浜国大を志望するのをやめたとか。ちなみに横浜国大は、むかしは清水ヶ丘にキャンパスがあり、ここは今は「清水ヶ丘公園」になっています。私は大学時代にこの公園の近くに住んでいたのでよく知っていますが、ここも急坂を登らないとたどり着けないところでした。

横浜というところは異国情緒漂う街として全国的にも人気がありますが、人によっては、坂に閉口させられる街かもしれません。特に高齢となり足腰が弱ってくると、場合によっては外出もままならなくなるとか、いろいろ厄介な面もありそうな気がしますし、そう考えると千葉市というのは良いところかもしれません。こういうことは、学生時代の若い時分には気がつきませんでした。年をとることによって初めて、気づくこと、見えてくることが、あります。