今日は千葉市で35.0度を記録したそうです。この夏初めての猛暑日でした。ちなみに、千葉市で6月に猛暑日を観測したのは、史上初だそうです。
さてわたしは水曜日の3時間目に講義を行っています。大学は電力の大口需要者であり、電力需給が厳しいということで、節電を心がけるようにしています。今日もなるべく冷房を使わないようにしたいとは思ったのですが、いかんせん一日のなかで一番暑い昼過ぎの教室に温度計を持ち込むと、たちまち30度を超えてしまいました。しかも湿度も75%を超えていたので、授業開始後しばらくしてすこし冷房を入れてみました。
ところが、しばらくすると省エネ担当の方が教室までお見えになり、「電力使用量が増えていて非常にまずいので、エアコンを切って欲しい」とのことでした。致し方ありません、エアコンは切りました。すると再び蒸し風呂に逆戻りです。
節電のためにエアコンが使えないのは仕方がありません。また、私の職場の講義棟は築40年を超えていますが、むかしはエアコンなしだったのも事実で、贅沢を言ってはいけないのでしょう。ただつくづく問題だと思うのは、建物の断熱性が低いことです。壁や天井にはおそらく断熱材など入っていないように思われます。窓もガラス一枚です。これでは、外気の影響をモロに受けてしまいます。この(おそらく)断熱材なし、一重窓というのは、講義棟だけではなく、研究室のある建物も同じで、私の研究室は最上階ですが、真夏の昼間などは冷房を切るとたちまち30数度になります。建物自体が発熱してしまっているという感じです。
建物に断熱材が入っていれば、そして窓が二重になっていれば、外気の影響を受けにくくなりますし、エアコンも、少し入れただけでよく効くようになるはずです。そしてそうであれば、エアコンによる電力の消費量もぐっと少なくて済むわけです。
本州の建物では、断熱材なし、窓は一重というのが一般的ですが、私の生まれ育った北海道ではまったく違います。建物には断熱材が入り、窓が二重というのが常識です(窓が一枚の建物など、ありません)。とはいえ最近は本州でも、新築のマンションなどで外断熱を売り物にしているものが増えていますし、エコポイント制度の後押しもあって、窓を二重化する家も増えていると思います。こういう、断熱効果を高めた建築が、もっともっと世の中に広まらないといけません。
本来ならば、数年前の教育学部の建物の改修工事のときに、断熱材を入れたり、窓を二重にするなど、断熱効果を高める処置をしておければよかったとわたしは思います。じつは改修工事の際、わたしは、研究室のある建物については窓を二重にするよう、要望しました。断熱効果を高める処置をすれば、それだけお金がかかりますが、その分だけ冷暖房費が削減されるわけで、長い目で見ればそのほうが安上がりになるはずだし、何よりもエコだろうという考えに基づいたものです。しかし要望は、「予算がない」の一言で却下されました。
要するに、断熱効果を高める処置という、短期的にはお金がかかってマイナスだが長期的には電力の節約になってプラスという政策がとられなかったわけです。そして、断熱効果を高める処置をしないので、短期的には安上がりでプラスだが、長期的には毎年毎年電力を浪費してしまいお金がかかるという、マイナスの政策が取られたわけです。このツケが、節電が求められるようになった今夏に、早速出ているわけです。
こういう、目先の利益を優先したばっかりに、長期的にツケを払わされるという構図は、もうありとあらゆるところにあります。消費税を上げるよりほかないはずなのに、なかなか上げられない日本の政治経済状況もこれに似ているように思います。
なんだか最後は暗い話になってしまいました。来週の授業日は、暑くなければよいのですが。
2011年6月29日水曜日
2011年6月23日木曜日
OBの訪問
今日は研究室に、学校教員となったゼミのOBが、訪ねてきてくれました。夕方だったので、ほどなくして西千葉駅近くの居酒屋に移動して、配属されている学校現場のことや、授業のやり方のことなどを聞かせてくれました。立派に仕事をこなしているようで、頼もしく感じました。その後、途中から別の卒業生も参加してくれて、楽しいひと時を過ごすことができました。うっかり遅くまで飲みすぎてしまったので、朝早い学校の先生には、ご迷惑をおかけしたかもしれません(すみません、反省しています)。これに懲りず、また遊びに来てくれたらと思います。
教え子の訪問を受けて、ふと大学院生時代の師匠のことを思い出しました。教え子である私は、師匠にはしばらくお会いしていないのですが、たまには足を運んで、杯を傾ける機会を持ちたいものです。
教え子の訪問を受けて、ふと大学院生時代の師匠のことを思い出しました。教え子である私は、師匠にはしばらくお会いしていないのですが、たまには足を運んで、杯を傾ける機会を持ちたいものです。
2011年6月10日金曜日
論文脱稿
少し前のことになりますが、久しぶりに専門の論文を1本書く機会があり、5月に脱稿しました(本当は、「久しぶり」ではいけないのですが、いかんせんこの間、教科書的な本の分担執筆の仕事が2つあり、また専門とは関係がない論文を書いていたりもしたので、久しぶりになってしまいました)。書いていたのは主に2月から5月にかけてでしたが、この間に東日本大震災があり、余震に怯えながらの執筆でした。
論文の執筆中、本山美彦編『開発論のフロンティア』(同文館、1995年)の「はしがき」を何度も何度も繰り返し読みました。この「はしがき」は、本山先生が阪神淡路大震災の直後に書かれたものですが、神戸にて被災者として経験したことを素材とし、災害という一種の極限状況から途上国の人々の置かれた状況を類推的に考察した上で、近年の開発経済論のあり方を批判したものです(本そのものは開発経済論の論文集なのに、この「はしがき」のおかげで、関西では震災本の一つとしてもリストアップされているほどです)。
私自身、この「はしがき」は何度か読んでいたのですが、今回の地震の後に改めて読み返してみて、そこに書かれてある一字一句が、あたかも体に染み込んでくるかのように、理解できました。というのも、今回の地震で私も、停電騒ぎやら食料品の買い占め・不足やら断水やらを経験し、また電気もガスも水道も食料もない被災地を報道で見るにつけ、先進国では非日常的ながら途上国ではごく日常的な一種の極限状態に一時的とはいえ身を置くことを余儀なくされたわけですが、このような先進国では例外的な状況を経験をする事によって初めて、途上国の人々が日々置かれているであろう状況を、体感的に(「皮膚感覚」で)掴み取ることができたからです。
このような経験を潜り抜けた後に、翻って先進国の視点から途上国を語っている社会科学を見てみると、そこにある種の「傲慢さ」のようなものを感じないわけには、いきません。具体的に言いましょう。もしも途上国の人々の置かれた立場で考えてみるならば、とても出てこないであろう「上から目線」の議論が、先進国出自の社会科学には、やはりあります。そしてこうした「傲慢さ」は、本山先生がかつて経験したように、そして今回私が経験したように、災害というある種の極限状況の中でないと、なかなかきちんと見えて来ない(認識されない)ようです。
このように、地震と余震のなかで執筆した今回の論文は、開発学という学問のあり方や、先進国から途上国を語る際に気をつけねばならぬことなどを考え直させられる、一つの非常に大きな契機になりました。出来上がった小論は拙いものですが、私にとっては、研究上の転換点になるかもしれないぐらいの大きな意味を持ちそうです。「これから考えなくてはならないことを、たくさん発見できた」。そんな思いを持ちつつ脱稿しました。今後の研究に活かしたいと思います。
(注)「災害と開発」というのは、開発学のなかで一つの研究ジャンルになっているようです。アマゾンで検索すると、このテーマに関連した結構な数の本がヒットします。
論文の執筆中、本山美彦編『開発論のフロンティア』(同文館、1995年)の「はしがき」を何度も何度も繰り返し読みました。この「はしがき」は、本山先生が阪神淡路大震災の直後に書かれたものですが、神戸にて被災者として経験したことを素材とし、災害という一種の極限状況から途上国の人々の置かれた状況を類推的に考察した上で、近年の開発経済論のあり方を批判したものです(本そのものは開発経済論の論文集なのに、この「はしがき」のおかげで、関西では震災本の一つとしてもリストアップされているほどです)。
私自身、この「はしがき」は何度か読んでいたのですが、今回の地震の後に改めて読み返してみて、そこに書かれてある一字一句が、あたかも体に染み込んでくるかのように、理解できました。というのも、今回の地震で私も、停電騒ぎやら食料品の買い占め・不足やら断水やらを経験し、また電気もガスも水道も食料もない被災地を報道で見るにつけ、先進国では非日常的ながら途上国ではごく日常的な一種の極限状態に一時的とはいえ身を置くことを余儀なくされたわけですが、このような先進国では例外的な状況を経験をする事によって初めて、途上国の人々が日々置かれているであろう状況を、体感的に(「皮膚感覚」で)掴み取ることができたからです。
このような経験を潜り抜けた後に、翻って先進国の視点から途上国を語っている社会科学を見てみると、そこにある種の「傲慢さ」のようなものを感じないわけには、いきません。具体的に言いましょう。もしも途上国の人々の置かれた立場で考えてみるならば、とても出てこないであろう「上から目線」の議論が、先進国出自の社会科学には、やはりあります。そしてこうした「傲慢さ」は、本山先生がかつて経験したように、そして今回私が経験したように、災害というある種の極限状況の中でないと、なかなかきちんと見えて来ない(認識されない)ようです。
このように、地震と余震のなかで執筆した今回の論文は、開発学という学問のあり方や、先進国から途上国を語る際に気をつけねばならぬことなどを考え直させられる、一つの非常に大きな契機になりました。出来上がった小論は拙いものですが、私にとっては、研究上の転換点になるかもしれないぐらいの大きな意味を持ちそうです。「これから考えなくてはならないことを、たくさん発見できた」。そんな思いを持ちつつ脱稿しました。今後の研究に活かしたいと思います。
(注)「災害と開発」というのは、開発学のなかで一つの研究ジャンルになっているようです。アマゾンで検索すると、このテーマに関連した結構な数の本がヒットします。
2011年6月5日日曜日
日本平和学会春季研究大会@新潟
日本平和学会の春季研究大会に出席するために、4日から5日にかけて、新潟市の新潟国際情報大学(NUIS)に行ってきました。新潟市内を訪れるのはおよそ6年ぶり、2度目です。前回は京都からの日帰りで、新潟市内にいたのは3時間ぐらいというじつに慌しい訪問でしたが、今回は初日の夜の懇親会で地酒を堪能するなど、地元の食文化に触れることもできました。ちなみに、懇親会でお会いした茨城大学の蓮井先生には、昨秋の学会でお世話になったお礼を述べることができました。
学会の会場は中央キャンパスという、新潟市内中心部の交通の便利の良い場所でしたが、なんでもここ、10年ほど前に経営破綻した新潟中央銀行のかつての本店跡地だそうです。銀行の経営破綻後に更地になった場所に建てられた清潔感溢れる9F建てのビルが丸ごとキャンパスという立派なところでした。それと、今回NUISの教員の方から伺って初めて知ったのですが、学長が、元新潟県知事の平山征夫氏だそうです。
学会には、2日間とも朝から夕方まで参加しました。初日の午後の部会では、私の学部時代の卒論の副査の先生とお会いし、同じ机に並んで報告を聞きました(卒論の審査のときに、この副査の先生から頂戴したお言葉をふと思い出しました。でも、向こうは覚えてないでしょう)。また二日目の午後の部会は、企画委員として企画に携わった部会でした。報告・討論・司会の先生方のおかげで、成功裡に終えることができました。無事に仕事を果たすことができて、ホッとしました。
今年の秋大会は広島、来年の春大会は沖縄だそうです。ちなみに来年2012年は、沖縄の本土復帰40周年です。両方とも足を運ぶつもりで、今から楽しみにしています。
学会の会場は中央キャンパスという、新潟市内中心部の交通の便利の良い場所でしたが、なんでもここ、10年ほど前に経営破綻した新潟中央銀行のかつての本店跡地だそうです。銀行の経営破綻後に更地になった場所に建てられた清潔感溢れる9F建てのビルが丸ごとキャンパスという立派なところでした。それと、今回NUISの教員の方から伺って初めて知ったのですが、学長が、元新潟県知事の平山征夫氏だそうです。
学会には、2日間とも朝から夕方まで参加しました。初日の午後の部会では、私の学部時代の卒論の副査の先生とお会いし、同じ机に並んで報告を聞きました(卒論の審査のときに、この副査の先生から頂戴したお言葉をふと思い出しました。でも、向こうは覚えてないでしょう)。また二日目の午後の部会は、企画委員として企画に携わった部会でした。報告・討論・司会の先生方のおかげで、成功裡に終えることができました。無事に仕事を果たすことができて、ホッとしました。
今年の秋大会は広島、来年の春大会は沖縄だそうです。ちなみに来年2012年は、沖縄の本土復帰40周年です。両方とも足を運ぶつもりで、今から楽しみにしています。
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