昨日と今日、京都産業大学にて開催された日本国際経済学会・第73回全国大会に参加しました。過日の役員選挙の結果をうけて、今日付でこの学会の理事に就任することとなり(任期は2年間)、理事会というものに初めて出席しました。これから2年間、力を尽くしたいと思います。
また大会2日目の今日(日曜日)には、報告もしてきました。討論者は、明治学院大学の賴俊輔さんにお願いをして、引き受けていただきました。どうもありがとうございました。フルペーパーおよび報告は日本語ですが、今回のフルペーパーの英語版は、Asian Profile誌に掲載されることがすでに決まっています。
院生・PD時代に7年間も京都で過ごしたにもかかわらず、京都産業大学には初めて足を運びました。キャンパス内には急坂もあり、エスカレーターも配置されていました。とはいえ、かつてはこうしたエスカレーターは存在しておらず、キャンパス内の急坂は「定年坂」と呼ばれていたそうです。その意味は、教員がこの急坂を登れなくなってくる頃にちょうど定年を迎える、ということのようです。
2014年10月26日日曜日
2014年6月21日土曜日
学会報告も見せ方が9割?:良いプレゼン、悪いプレゼン
社会科学者にとって、6月は、秋とともに、学会シーズンです。今月は2つの学会に参加しました。
学会に参加して考えることのひとつに、「プレゼンテーションの方法」があります。「報告内容は良いはずなのにプレゼンテーションの仕方に問題ありと思える報告」もあれば、逆に、「報告内容はいたってノーマルだけれどもプレゼンテーションの仕方が良いので好印象を残す報告」など、いろいろあります。内容もプレゼンテーションも両方すばらしい、という報告は、残念ながらあまりありません。
わたしが、「このプレゼンには問題があるなぁ」と思うのは、次のような報告です。第一に、PCばかり見ていて聴衆のほうをちっとも見ない報告、第二に、抑揚なく喋っている報告(寝不足のときだと眠くなりそうです・・・)、第三に、限られた時間に内容を盛り込みすぎているので、極度に早口になっている報告(ついていけません)、第四に、限られた時間に報告が終わりきらないので、途中でスキップしたり、以後省略となったりする報告(消化不良を起こします)、第五に、PPTのハンドアウトが醜い報告、第六に、PPTの色使いに問題がある報告、第七に、PPTの画面を指すためのレーザーポインターをやたら動かすのでスクリーンを見つめにくい報告(画面を見る気がしなくなり、聞く気も失せます)、などです。
第一と第二のパターンに遭遇して思うのは、「こういう人は、いったい大学ではどのように授業をしているのだろう?」ということです。まさか大学でも、学生さんの顔を見ずにPCを見ながら抑揚なく喋っているのでしょうか。おそらく、そういった教員の話をきちんと聞いて理解してくれる大学生は、拠点大学の一部の学生だけではないかと思います。
第三と第四のパターンについては、報告資料の分量が異様に多いのが特徴で、報告が始まる前の段階で、「いったいこの内容を、どうやって○○分で終わらせるのだろう?無理では?」と思うことが多い。そして実際にその通りになります。限られた時間で過不足なくメッセージを伝える、という準備が、完全に不足しています。きちんと時間を計ってリハーサルをやっていないと思わざるを得ません。
第五、第六、第七のパターンは、PPTに特有の問題です。このうち第五と第六については、「『PPTをPCで作成したときの見え方と、それを広い会場のスクリーンに移したときの見え方は異なる』ということが、わかっていない」と思われます。
具体的には、①フォントサイズが小さいので見えない・見えにくい、②色使いが悪くて見えない・見えにくい、③図表や画像をどこかから切り貼りしているので解像度が低くて見えない・見えにくい、などです。
まず①については、PPTをスクリーンに写すのであれば、フォントサイズは一定以上(「24ポ」以上と言われています)にしないといけません。こんなことは、わかっている人には当たり前すぎる常識なのですが、意外と守られていません。
次に②については、白地の背景色のところに、黄色や黄緑色などの薄い色の字を配置している結果、その字がスクリーンでもハンドアウトでも見えない、というのがよくあるパターンです。それにしても思うのは、ハンドアウトについては印刷すれば簡単に確認できるはずなのに、どうして見えない・見えにくいハンドアウトを持ってくるのだろう、ということです。きちんと印刷して印刷物を確認する、という手間を怠っているのではないでしょうか。
そして最後の③についてですが、これもPPTで見えるように図表を作り直す、という手間をかけることを怠っているのです。要は面倒くさがりか、準備のための時間を惜しんでいるかのどちらかだと思います。いずれにしても、これらを守れないのならPPTなぞ使わなければ良いのに、と思います。
ちなみに、わたしがいままでに最も素晴らしいと思ったプレゼンテーションは、アジア経済研究所の平野克己氏のものです。聞き取りやすい声、明確なメッセージ、そして時間厳守というのは、まあ真似できるとしても、聴衆をひきつける話しぶりは、「これはちょっとまねできない」と思いました。ですが、こういうプレゼンテーションができると、聴衆に強い印象を与えます。実際に、平野氏のプレゼンに対しては、聴衆から多くの質問が寄せられていたと記憶しています。
いかなるプレゼンテーションであっても、その「内容」などは、1週間もしないうちに大半を忘れてしまいます。しかし、そこから受けた「印象」は、何年も記憶に残ります。『人は見た目が9割』というタイトルの本がありましたが、ひょっとすると「学会報告も見せ方が9割」かもしれません。日本の学者は、「どのような内容を報告するか」よりも、「どのようにして聴衆に鮮烈な印象を残すか」ということのほうに、もっと気を配るべきだと思います。
学会に参加して考えることのひとつに、「プレゼンテーションの方法」があります。「報告内容は良いはずなのにプレゼンテーションの仕方に問題ありと思える報告」もあれば、逆に、「報告内容はいたってノーマルだけれどもプレゼンテーションの仕方が良いので好印象を残す報告」など、いろいろあります。内容もプレゼンテーションも両方すばらしい、という報告は、残念ながらあまりありません。
わたしが、「このプレゼンには問題があるなぁ」と思うのは、次のような報告です。第一に、PCばかり見ていて聴衆のほうをちっとも見ない報告、第二に、抑揚なく喋っている報告(寝不足のときだと眠くなりそうです・・・)、第三に、限られた時間に内容を盛り込みすぎているので、極度に早口になっている報告(ついていけません)、第四に、限られた時間に報告が終わりきらないので、途中でスキップしたり、以後省略となったりする報告(消化不良を起こします)、第五に、PPTのハンドアウトが醜い報告、第六に、PPTの色使いに問題がある報告、第七に、PPTの画面を指すためのレーザーポインターをやたら動かすのでスクリーンを見つめにくい報告(画面を見る気がしなくなり、聞く気も失せます)、などです。
第一と第二のパターンに遭遇して思うのは、「こういう人は、いったい大学ではどのように授業をしているのだろう?」ということです。まさか大学でも、学生さんの顔を見ずにPCを見ながら抑揚なく喋っているのでしょうか。おそらく、そういった教員の話をきちんと聞いて理解してくれる大学生は、拠点大学の一部の学生だけではないかと思います。
第三と第四のパターンについては、報告資料の分量が異様に多いのが特徴で、報告が始まる前の段階で、「いったいこの内容を、どうやって○○分で終わらせるのだろう?無理では?」と思うことが多い。そして実際にその通りになります。限られた時間で過不足なくメッセージを伝える、という準備が、完全に不足しています。きちんと時間を計ってリハーサルをやっていないと思わざるを得ません。
第五、第六、第七のパターンは、PPTに特有の問題です。このうち第五と第六については、「『PPTをPCで作成したときの見え方と、それを広い会場のスクリーンに移したときの見え方は異なる』ということが、わかっていない」と思われます。
具体的には、①フォントサイズが小さいので見えない・見えにくい、②色使いが悪くて見えない・見えにくい、③図表や画像をどこかから切り貼りしているので解像度が低くて見えない・見えにくい、などです。
まず①については、PPTをスクリーンに写すのであれば、フォントサイズは一定以上(「24ポ」以上と言われています)にしないといけません。こんなことは、わかっている人には当たり前すぎる常識なのですが、意外と守られていません。
次に②については、白地の背景色のところに、黄色や黄緑色などの薄い色の字を配置している結果、その字がスクリーンでもハンドアウトでも見えない、というのがよくあるパターンです。それにしても思うのは、ハンドアウトについては印刷すれば簡単に確認できるはずなのに、どうして見えない・見えにくいハンドアウトを持ってくるのだろう、ということです。きちんと印刷して印刷物を確認する、という手間を怠っているのではないでしょうか。
そして最後の③についてですが、これもPPTで見えるように図表を作り直す、という手間をかけることを怠っているのです。要は面倒くさがりか、準備のための時間を惜しんでいるかのどちらかだと思います。いずれにしても、これらを守れないのならPPTなぞ使わなければ良いのに、と思います。
ちなみに、わたしがいままでに最も素晴らしいと思ったプレゼンテーションは、アジア経済研究所の平野克己氏のものです。聞き取りやすい声、明確なメッセージ、そして時間厳守というのは、まあ真似できるとしても、聴衆をひきつける話しぶりは、「これはちょっとまねできない」と思いました。ですが、こういうプレゼンテーションができると、聴衆に強い印象を与えます。実際に、平野氏のプレゼンに対しては、聴衆から多くの質問が寄せられていたと記憶しています。
いかなるプレゼンテーションであっても、その「内容」などは、1週間もしないうちに大半を忘れてしまいます。しかし、そこから受けた「印象」は、何年も記憶に残ります。『人は見た目が9割』というタイトルの本がありましたが、ひょっとすると「学会報告も見せ方が9割」かもしれません。日本の学者は、「どのような内容を報告するか」よりも、「どのようにして聴衆に鮮烈な印象を残すか」ということのほうに、もっと気を配るべきだと思います。
2014年6月14日土曜日
木下悦二・九州大学名誉教授の研究報告を拝聴しました
木下悦二・九州大学名誉教授が、福岡から上京されて、明治大学で研究報告をなさるというので、聞きに行ってきました。
「二十一世紀世界経済の暁鐘:今次金融危機が孕む問題点」
http://www.meijigakuin.ac.jp/~wakui/s2kinosita140614.pdf
木下先生は、1920年生まれ。本年94歳ということになります。1950年に日本国際経済学会の創立総会が東京で開かれた際、全国から25名の研究者が集まったそうで、そのときにその25名で集合写真を撮ったのだ、という話を木下先生から聞いたのは、わたしがまだ大学院生だった9年前の2005年の日本国際経済学会第64回全国大会の懇親会の場でのことです。文字通り、日本国際経済学会の生き字引であると言って間違いないでしょう。
94歳で東京に出てきて研究報告をされるというのもすごいのですが、他にも驚かされたことが多々ありあました。そのいくつかを記すと、まずひとつは、パワーポイントを使って報告なさっていたこと、もうひとつは、最近欧米で話題になっているフランスの経済学者ピケティの『21世紀の資本論』に言及されたり、インターネットを駆使してFinancial TimesやBloombergの記事を追いかけているなど、最新の研究動向・経済状況の把握に熱心に努めておられること、そして最後に、1時間半の報告のあと休憩を挟んでの1時間半の間の質疑応答において、すべての質問に対して、必ず立ってリプライしていたことです。この「立ってリプライ」という姿を目の当たりにして、わたしなどは木下先生の体力に畏れ入ると同時に、思わず姿勢が伸びてしまいました。また、控えめに言っても実年齢より10歳ぐらいはお若く見えるように思われます。
研究報告の内容でも、大いに勉強になりました。そのうち、大きく印象に残ったこととして、2つ記しておきたいと思います。
ひとつは、20世紀の世界経済を規定した要因の一つとして、レーニンの死後にトロツキーを退けて一国社会主義の立場をとったスターリンと、それによるソ連の急速な工業化の成功が、後進国の開発戦略としての輸入代替工業化に大きな影響を与えた(輸入代替工業化の有効性を実証したと受け止められた)、という指摘。この指摘については、質疑応答で異論も出ていたのですが、わたしはむしろ木下先生のご指摘に納得しました。1950年代以降の植民地解放運動や後進国の国家建設に向けた動きを、わたしは文献でしか知ることができません。他方で、木下先生は、当時の熱情と雰囲気を同時代史として観察してこられたわけで、このあたりの回顧的な指摘と発言に、実感がこもっておられたのが印象的でした。
もうひとつは、アメリカの資本主義の変容を次のように捉えるという指摘。すなわち、①「レーガン政権期の規制緩和で機関投資家によるジャンク債投資が活発化→1980年代にLBOブームが拡大→企業は株価が低迷していると乗っ取られるのでその経営者は株価の向上に努める→自社株買いが活発化し、これに関連してストック・オプションの付与が流行→金融資産の有無により格差拡大」、②「脱工業化が進む中での2000年代以降の米国製造業の発展は、コンピューターおよびエレクトロニクス部門にほぼ限定されるが(例外は航空機部門)、この部門とて、フォックスコンをはじめとするアジアの受託製造業と、インド等のIT-BPOに依存していて雇用を生まない→中産階級が没落・格差拡大」、という2つの動きが組み合わさった結果、アメリカ資本主義はこれまでとは異質な資本主義に転化した、という指摘です。この指摘によって、なぜアメリカでOccupy Wall Streetといった動きが出てきたのか、あるいはなぜ「1%対99%」といった問題提起が出てきたのか、その歴史的根源とそれを促した構造変動とが、よくわかりました。このあたり、「視野を広げ、かつ時間軸を広げて見ていかないと、現下の動きを的確には把握できないのだ」ということを思い知らせてくれるよい例証になっていると思いました。また、大きなスケールで物事を捉えることによって本質を浮かび上がらせる点は、時に木を見て森を見ずになってしまっていることのある昨今の学界のあり方を反省させてくれるもの、でもあるかと思います。
その他、米国のQE1、QE2、QE3の相違点の整理とか、欧州諸国の金融危機の類型的整理(アイスランド・アイルランド:銀行部門が対GDP比で見て過大な規模に膨れ上がっていた、中東欧:冷戦後に西側外国銀行の支配が進んだが、その親会社である西欧の銀行が金融危機の影響をうけて融資が引き上げられた、南欧:財政赤字により国債暴落)など、これまで個別的・断片的にしかわかっていなかったことのわかりやすい概観なども、勉強になりました。じつのところ、この種の事項に関する細かな研究報告は内外に山のようにあるのですが、国際金融を専門にしていない、わたしのような国際経済研究者にとっては、細かすぎてかえって本質がつかみにくく、よくわからなくなってしまう。なので、これらの簡にして要を得た概観は、とてもありがたいものでした。と同時に、これは、学術研究においては細かく掘り下げていくことが基本ではあるものの、しかしどこかで「綜合」「統合」が必要なのだ、ということの確認につながっていくと思います。
研究報告内容ももちろんですが、学問のあり方、学者としての生き方など、研究内容以外でも勉強になったご報告でした。
「二十一世紀世界経済の暁鐘:今次金融危機が孕む問題点」
http://www.meijigakuin.ac.jp/~wakui/s2kinosita140614.pdf
木下先生は、1920年生まれ。本年94歳ということになります。1950年に日本国際経済学会の創立総会が東京で開かれた際、全国から25名の研究者が集まったそうで、そのときにその25名で集合写真を撮ったのだ、という話を木下先生から聞いたのは、わたしがまだ大学院生だった9年前の2005年の日本国際経済学会第64回全国大会の懇親会の場でのことです。文字通り、日本国際経済学会の生き字引であると言って間違いないでしょう。
94歳で東京に出てきて研究報告をされるというのもすごいのですが、他にも驚かされたことが多々ありあました。そのいくつかを記すと、まずひとつは、パワーポイントを使って報告なさっていたこと、もうひとつは、最近欧米で話題になっているフランスの経済学者ピケティの『21世紀の資本論』に言及されたり、インターネットを駆使してFinancial TimesやBloombergの記事を追いかけているなど、最新の研究動向・経済状況の把握に熱心に努めておられること、そして最後に、1時間半の報告のあと休憩を挟んでの1時間半の間の質疑応答において、すべての質問に対して、必ず立ってリプライしていたことです。この「立ってリプライ」という姿を目の当たりにして、わたしなどは木下先生の体力に畏れ入ると同時に、思わず姿勢が伸びてしまいました。また、控えめに言っても実年齢より10歳ぐらいはお若く見えるように思われます。
研究報告の内容でも、大いに勉強になりました。そのうち、大きく印象に残ったこととして、2つ記しておきたいと思います。
ひとつは、20世紀の世界経済を規定した要因の一つとして、レーニンの死後にトロツキーを退けて一国社会主義の立場をとったスターリンと、それによるソ連の急速な工業化の成功が、後進国の開発戦略としての輸入代替工業化に大きな影響を与えた(輸入代替工業化の有効性を実証したと受け止められた)、という指摘。この指摘については、質疑応答で異論も出ていたのですが、わたしはむしろ木下先生のご指摘に納得しました。1950年代以降の植民地解放運動や後進国の国家建設に向けた動きを、わたしは文献でしか知ることができません。他方で、木下先生は、当時の熱情と雰囲気を同時代史として観察してこられたわけで、このあたりの回顧的な指摘と発言に、実感がこもっておられたのが印象的でした。
もうひとつは、アメリカの資本主義の変容を次のように捉えるという指摘。すなわち、①「レーガン政権期の規制緩和で機関投資家によるジャンク債投資が活発化→1980年代にLBOブームが拡大→企業は株価が低迷していると乗っ取られるのでその経営者は株価の向上に努める→自社株買いが活発化し、これに関連してストック・オプションの付与が流行→金融資産の有無により格差拡大」、②「脱工業化が進む中での2000年代以降の米国製造業の発展は、コンピューターおよびエレクトロニクス部門にほぼ限定されるが(例外は航空機部門)、この部門とて、フォックスコンをはじめとするアジアの受託製造業と、インド等のIT-BPOに依存していて雇用を生まない→中産階級が没落・格差拡大」、という2つの動きが組み合わさった結果、アメリカ資本主義はこれまでとは異質な資本主義に転化した、という指摘です。この指摘によって、なぜアメリカでOccupy Wall Streetといった動きが出てきたのか、あるいはなぜ「1%対99%」といった問題提起が出てきたのか、その歴史的根源とそれを促した構造変動とが、よくわかりました。このあたり、「視野を広げ、かつ時間軸を広げて見ていかないと、現下の動きを的確には把握できないのだ」ということを思い知らせてくれるよい例証になっていると思いました。また、大きなスケールで物事を捉えることによって本質を浮かび上がらせる点は、時に木を見て森を見ずになってしまっていることのある昨今の学界のあり方を反省させてくれるもの、でもあるかと思います。
その他、米国のQE1、QE2、QE3の相違点の整理とか、欧州諸国の金融危機の類型的整理(アイスランド・アイルランド:銀行部門が対GDP比で見て過大な規模に膨れ上がっていた、中東欧:冷戦後に西側外国銀行の支配が進んだが、その親会社である西欧の銀行が金融危機の影響をうけて融資が引き上げられた、南欧:財政赤字により国債暴落)など、これまで個別的・断片的にしかわかっていなかったことのわかりやすい概観なども、勉強になりました。じつのところ、この種の事項に関する細かな研究報告は内外に山のようにあるのですが、国際金融を専門にしていない、わたしのような国際経済研究者にとっては、細かすぎてかえって本質がつかみにくく、よくわからなくなってしまう。なので、これらの簡にして要を得た概観は、とてもありがたいものでした。と同時に、これは、学術研究においては細かく掘り下げていくことが基本ではあるものの、しかしどこかで「綜合」「統合」が必要なのだ、ということの確認につながっていくと思います。
研究報告内容ももちろんですが、学問のあり方、学者としての生き方など、研究内容以外でも勉強になったご報告でした。
2014年6月8日日曜日
2014年5月1日木曜日
2014年3月30日日曜日
青森市の風土と住環境
週末に所用があって青森市に行ってきました。青森県には何度か足を運んだことがありますが、青森市については駅での乗り換えを何度か経験したことがあるぐらいで、市内を歩いたのは初めてでした。
さて、青森市内で住宅を見ていて思ったのですが、北海道との共通点が非常に多いと感じました。誤解を恐れずに言うと、ここは本州ではなく北海道だと思います。
まず、一軒家では、玄関にフードがあります。これは見たことがない人にはわかりにくいのですが、要は玄関が二重になっていることで、寒さをしのげる。これがあることのメリットとしては、ほかにもあって、たとえば室内に入れるわけにはいかないが外に置いておくと雪に埋もれかねない除雪用具などを、玄関の外かつフードの内側に置いておけます。また、瓦の屋根などなく、傾斜のある金属製の屋根か、無落雪の平らな屋根ばかりです。さらに、戸外に大きな石油タンクがあります。つまり暖房のエネルギーを灯油に頼っており給油管が室内につながっていることを意味しています(このあたり、本州の人には仕組みがわからないでしょうが)。こうした点は、すべて北海道と共通している一方で、首都圏以西では見られないものです。
他方で、マンションに目を向けてみると、首都圏では一般的な外廊下というものがありません。エレベーターは、「2戸1基」もしくは「3戸1基」になっているようです。寒冷地では、外廊下を設ける場合には、そこに雪が入り込むのを避けるべく、外廊下の壁を透明もしくは半透明のフードで覆う必要があります。昔のマンションでは、このタイプが確かにあったのですが、最近は、外廊下そのものを設けないというのが一般的です。この場合、外廊下に部屋が面するということがなくなるので、プライバシーが向上するというメリットがあります。どうしてこのすばらしい仕組みが首都圏で普及しないのかというと、「2戸1基」もしくは「3戸1基」でエレベーターを設ける必要があり、そうなると分譲価格がすこしだけ高くなるからです。いずれにしても、マンションに外廊下がないこと、これも北海道と青森市で共通しています。
青森市は本州の一部です。しかし風土に規定される住環境という観点からみると、首都圏よりもむしろ北海道との共通点のほうが多いのではないかとさえ思われます。ついでに言うと、道路の傷み具合なども共通しているように感じました。これは雪と除雪作業によって、アスファルトが傷むためです。
それにしても、いつも思うのですが、こうした温帯圏と亜寒帯圏とで異なる一軒家やマンションの仕組みの境目(境界線)は、どのあたりになるのでしょうか。東北のどこかであることは間違いありませんが・・・。
さて、青森市内で住宅を見ていて思ったのですが、北海道との共通点が非常に多いと感じました。誤解を恐れずに言うと、ここは本州ではなく北海道だと思います。
まず、一軒家では、玄関にフードがあります。これは見たことがない人にはわかりにくいのですが、要は玄関が二重になっていることで、寒さをしのげる。これがあることのメリットとしては、ほかにもあって、たとえば室内に入れるわけにはいかないが外に置いておくと雪に埋もれかねない除雪用具などを、玄関の外かつフードの内側に置いておけます。また、瓦の屋根などなく、傾斜のある金属製の屋根か、無落雪の平らな屋根ばかりです。さらに、戸外に大きな石油タンクがあります。つまり暖房のエネルギーを灯油に頼っており給油管が室内につながっていることを意味しています(このあたり、本州の人には仕組みがわからないでしょうが)。こうした点は、すべて北海道と共通している一方で、首都圏以西では見られないものです。
他方で、マンションに目を向けてみると、首都圏では一般的な外廊下というものがありません。エレベーターは、「2戸1基」もしくは「3戸1基」になっているようです。寒冷地では、外廊下を設ける場合には、そこに雪が入り込むのを避けるべく、外廊下の壁を透明もしくは半透明のフードで覆う必要があります。昔のマンションでは、このタイプが確かにあったのですが、最近は、外廊下そのものを設けないというのが一般的です。この場合、外廊下に部屋が面するということがなくなるので、プライバシーが向上するというメリットがあります。どうしてこのすばらしい仕組みが首都圏で普及しないのかというと、「2戸1基」もしくは「3戸1基」でエレベーターを設ける必要があり、そうなると分譲価格がすこしだけ高くなるからです。いずれにしても、マンションに外廊下がないこと、これも北海道と青森市で共通しています。
青森市は本州の一部です。しかし風土に規定される住環境という観点からみると、首都圏よりもむしろ北海道との共通点のほうが多いのではないかとさえ思われます。ついでに言うと、道路の傷み具合なども共通しているように感じました。これは雪と除雪作業によって、アスファルトが傷むためです。
それにしても、いつも思うのですが、こうした温帯圏と亜寒帯圏とで異なる一軒家やマンションの仕組みの境目(境界線)は、どのあたりになるのでしょうか。東北のどこかであることは間違いありませんが・・・。
2014年3月24日月曜日
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