2010年1月23日土曜日

毛里和子先生(早稲田大学)の最終講義に行ってきました

今日は、学部時代の恩師の一人、毛里和子先生(早稲田大学)の最終講義「中国研究40年:光か闇か」に行ってきました。毛里先生は、現代中国研究の第一人者であり、その著作により、アジア太平洋賞大賞、大平正芳賞、石橋湛山賞などをこれまでに受賞されてきたのみならず、2003年には紫綬褒章も受賞されているという、まさに第一級の研究者です。

わたしは、毛里先生が早稲田大学に移籍される以前に奉職されていた横浜市立大学で、かつて講義(国際政治学、および中国研究I)を受講したほか、3年次には毛里ゼミに所属してご指導を受けるという機会に恵まれました。

今はどうなっているのかよくわかりませんが、当時の横浜市立大学の国際関係課程では、ゼミには2年次から所属することができ、またゼミの掛け持ちが可能な制度になっていました。わたしは、最終的に卒論は、掛け持ちしていた別のゼミで書いたので、毛里ゼミだったのは実は3年次の1年間だけであり、正確に言うと毛里ゼミのOBではありません。ただ、幸いなことに、大学を卒業してから後にも、早稲田大学の研究室に時折お邪魔させていただくことで、謦咳に接するという機会に恵まれました。特に会社を辞めて大学院に進学することを決めたときには、励ましをいただきました。また、千葉大学に奉職してからは、研究者としてのみならず大学人としての諸般について、ご相談をさせていただいたり、アドバイスを頂戴してきました。


最終講義では、中国政治の特質とか、中国の政治体制の行方とか、いろいろなお話しを伺えましたが、個人的に特に印象に残ったのは、次の二点です。

第一は、毛里先生は、20代から40代にかけて、23年間にわたって(財)日本国際問題研究所で勤務されてきたわけですが、ここで手がけた『新中国資料集成1945-1958』(全5巻)、『中国共産党史資料集1915-1945』(全12巻)といった資料集成編集の仕事が、研究の大きな土台になっているということです。「同世代で、これだけ資料を読んだ人はいないという自信がある」と仰っていましたが、長年に渡って、膨大な中国近現代史の重要資料を丹念に読み込み続けてきた人だけが手にできる圧倒的な蓄積が、その後の毛里中国研究を支えたようです。毛里先生が最初の単著を上梓されたのは50歳近くになってからなので、研究者としては比較的遅咲きだったのではないかと思うのですが、逆に言うと、そこに至るまでに、アカデミックな体力を、ひたすらに、徹底的に、蓄積し続けていたのだろうと思います。

文科系の研究者にとっては、20代どころか30代でさえ、まだまだ駆け出しです。最終的に、50代から60代にかけて、大きな華を咲かせることができるかどうかは、20代および30代の若い時期に、研究上の基礎体力を貯えることができるかどうかに左右されるように思いますし、そのためには、時間を確保して文献を丹念に読み込むことが、何よりも必要でしょう。そして毛里先生は、まさに、このような研究生活を送ってこられたのだろうと思います。対照的に、いまの日本はといえば、長い時間をかけて研究者を養成していくのではなく、とにかく成果(アウトプット)を短期的に求めている。このように短期的に成果を求めるようになると、若い研究者も生活がかかっていますから、成果の出やすい研究を手がけるようになり、短期的には成果の出にくい研究が遠ざけられかねません。これでは、学問の自殺です。日本の文科系の学問にいま必要なことは、毛里先生のように、若い頃にアカデミックな体力を蓄積し続けられる環境を整備することではないでしょうか。


第二は、「我敵と相見えたり。敵は我なり」、という言葉です。これはベネディクト・アンダーソンの近著『ヤシガラ椀の外へ』からの引用だったのですが、要するに研究者にとって、敵は、ライバルや研究対象ではなく、自分だ、ということです。

まったくその通りだと思います。研究者という職業には、他の職業と比較して時間的な自由という大きな特権がありますが、その自由は、研究生活のためのものです。ところが人間というのは、自由であると、時に、だらしなくなるものです。若い頃に研究意欲に燃えていた人であっても、歳をとると、怠け心というものが出てきたりします。物事がうまく進まない時というのは、誰にでもあり、人は、そのようなときに、お酒に逃げたりします。サラリーマンであれば、お酒に逃げても、次の日(または翌週)には、出勤しなければなりません。ところが、研究者の場合、そのような出勤の縛りが弱いわけで、そうなると、なかには、お酒に溺れていくような人もいます。かつては研究の意欲があったはずなのに、半分アル中のようになっているという研究者を、わたしも、いままでに見聞きしてきました。

これはやや極端な例ですが、歳をとると、フレッシュな問題意識や、研究対象に対する関心などが衰えてくるというのは、ごく一般的に見られます。研究の意欲を、数十年に渡って維持し続けるというのは、意外と難しいことのようです。こうなると、研究生活に「たるみ」が出てきてしまうのです。こうして「怠け」が始まります。それだけではない。歳をとると、視力が衰えることが多く、かりに研究意欲を保持し続けていても、文献と長時間向き合うのがむずかしくなる、というケースもあります。精神的に疲弊する問題に巻き込まれた結果、文献と向き合っても頭に入らず、それが長く続くうちに研究への熱意も冷めてくる、といったこともありえます。だから、長く研究生活を続けるためには、気力、体力、新鮮な問題意識など、いろいろなものの衰えを招かぬよう、強い自己管理が求められます。研究の敵とは、こうしたさまざまな「衰え」と「怠け心」なのです。逆に言うと、自分に克つことができれば、研究者として大成する可能性が高い、ということかもしれません。

関連して、「自分に克つ」ということで思い出すのは、数学者のルイ・ド・ブランジュ博士のことです。以前、「魔性の難問~リーマン予想・天才たちの闘い~」というNHKの番組で、難問・リーマン予想に挑み続けているド・ブランジュ博士が取り上げられていました。番組は、ウォーキングマシンで体を鍛えているド・ブランジュ博士の姿から始まります。じつは、ド・ブランジュ博士は、もう齢80歳に近いのです。ところがその「老人」が、なんとウォーキングマシンで必死になって汗を流しているわけです。「生きているうちになんとか、この難問を自分で解決したい、そのためにはまだまだ衰えているわけにはいかない・・・」。そんな気迫が見る者に伝わってきて、少なからず衝撃を受けました。そういえば、毛里先生も、小さなお体であるにもかかわらず、周りの研究者を驚かせるエネルギーの持ち主です。学問に必要なのは、はっきり言うと、体力です。また、わたしがまだ30代であるにもかかわらず、このような達観したことを言えるのは、腰痛になったり、目を酷使した挙句に眼科に駆け込んだりということを、何度か経験していることが影響しています(何の自慢にもなりませんが・・・)。



いずれにしても、わたし自身が研究者になったこともあってか、今日の毛里先生の講義は、研究のあり方をめぐって考えさせられることの多い、啓発された講義でした。そして、講義を拝聴したのは、実に13年ぶりでしたが、わたしにとっては、最後の講義が、最高の講義になったように思います。もう毛里先生の研究室を訪ねることができなくなってしまうのは、残念ですが、毛里先生とわたしは、所属学会が一つだけかぶっています。ですから、幸いなことに、学会でお目にかかれる機会は、今後もありそうです。毛里先生の今後のますますのご活躍を、祈念したいと思います。

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