2020年9月1日火曜日

小学校3年生だった時の9月1日(1983年)

私の勤務先を卒業して、学校教員になっている教え子から、便りをもらいました。いま、小学校の3年生の担任をしているということで、とても楽しく仕事をしていることがよく伝わってきました。

と同時に、自分自身の小学校3年生のことを思い出そうとして、それが37年前の1983年であり、その9月といえば、たしか大韓航空機撃墜事件があったのではなかったか、という気がしてきました。そこで、急ぎ調べてみると、37年前のまさに今日、9月1日が、大韓航空機撃墜事件の発生した日でした。


37年前の今日、私が、この事件の第一報を聞いたのは、たしか朝のNHKのラジオのニュースだったと思います(私の家では、朝にTVのスイッチを入れることはなく、NHKのラジオを聴きながら朝の支度をするのが習わしでした)。最初は、飛行機が墜ちたという話ではなく、飛行機が北海道の宗谷岬の近くで行方不明になったという話だったので、「どこか樺太あたりに不時着してくれていたら・・・」と願っていたのですが、結果的には撃墜ということでした。当時、私は北海道の北方に住んでいたのですが、事件から数日すると、山を一つ隔てたオホーツク海に面した隣町の海岸に、大韓航空機のものと見られる機体の残骸やら乗客の遺留品やらが漂着したという報道が、連日のようになされ始めました。

この事件をめぐっては、国際的な応酬がありました。子どもでしたし、昔のことですので、細かいことは覚えていませんが、ただソ連の言い分としては、飛行機が自国の領空を侵犯してきたので、国防上の危険から撃墜した、ということでした。しかし、いかに領空侵犯の事実があったとはいえ、相手は軍用機ではなく、攻撃の意図を持たないはずの民間航空機です。それを、ルール違反として機械的に撃墜するとは・・・。「ソ連とは恐ろしい国だ」と思ったことは、しっかりと覚えています。「なにも民間機を撃墜しなくてもいいじゃないか」とも。と同時に、1983年は、まだ東西対立の激しい冷戦の真っただ中で、こうしたことが起こる時代でもありました。

ちなみに、当事者のソ連の対応は、とかく隠蔽的でした。なにしろ当初、自国の空軍機が大韓航空機を撃墜したという事実さえ認めなかったのですから。こうした隠蔽体質は、その3年後のチェルノブイリ原発事故でもまったく同じでした。この二つの事件・事故は、当事者のソ連がその発生を当初否定し、しかし国際的に事実をもって反論がなされたあとにようやく認めたという点で、かなり共通していました。いまから振り返ると、この大韓航空機撃墜事件は、ソ連共産圏に対する私の見方を作るうえで大きな影響を与えた出来事だったように思います。もちろん、独裁的な政権が情報を隠蔽する、ということも含めて。


さて、ひるがえっていまは2020年です。小学校の3年生ともなれば、コロナのことやこれをめぐる政府の対応などについて、子ども心にあれこれ思うことがあるはずだし、またこのこと自体が記憶にも刻まれることでしょう。はたして、彼らは、のちにこれをどう評価するのでしょうか。


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