2011年3月11日金曜日

平成23年東北地方太平洋沖地震

写真は、千葉大学近くの千葉市美浜区のスーパーの入り口付近です。かつて海だった埋立地なのですが、液状化現象で地面に砂と水が浮き上がってるのが、わかるでしょうか。

わたしは、もちろん無事です。

2011年3月10日木曜日

公開シンポジウム「武力紛争から国家建設へ」

今日は、タイトルのシンポジウムを聞くために、市ヶ谷のJICA研究所まで行ってきました。決してメジャーとは思えないテーマですが、にもかかわらず150人の定員が満員で、ビックリしました。実際、聴衆にも著名な研究者が多数集まっていました。もう一つ、若い聴衆が多かったのも印象的でした。どこかの大学院生でしょうか。

2011年2月26日土曜日

追い出しコンパ

今日は、ゼミの4年生の追い出しコンパをやりました。3年生からは、「サプライズ」がありました。

今回卒業する4年生は、わたしが千葉大に着任したのと同時に入学した学生なので、わたしにとっては入学から卒業までの4年間をずっと見ていた最初の学生、ということになります。わたしとしても、思い入れがあります。ゼミ生も優秀だったので、こちらとしてはやりがいもあり、また指導しやすく、助かりました。

卒業生の皆さんの活躍を祈っています。20代前半の若者には、無限の可能性が開かれていると思います。自分自身のことを振り返って考えてみるに、おそらく人生で最も可能性の開かれている時期でしょう。疲れたら、たまには大学に遊びに来て下さい。

2011年2月19日土曜日

日本のGDPはいつから世界第2位だったのか:「1968年から世界第2位」だったという各紙の報道は本当か?

内閣府の発表で、日本の2010年の名目GDP(ドル換算)が中国に逆転され、世界第3位になったという報道が2月14日にありました。

ところで、こうした報道のなかでほとんど必ず出てくるのが、日本は1968年以来、米国に次ぐ世界第2位の経済規模を保ってきた、という指摘です。多くの新聞で、このように書かれています(日経新聞ではこちら。朝日新聞ではこちらや、こちら。毎日新聞ではこちらや、こちら。東京新聞ではこちら。読売新聞ではこちら。産経新聞ではこちら。読売新聞採用サイトではこちら)。なかには丁寧に、「42年で世界第2位の座を譲り渡した」としている記事もあります。

ところがインターネットで調べていたら、この1968年に世界第2位になったというのは間違い、と指摘しているサイトが見つかりました。こちらです。見ていただければわかりますが、1968年に日本は「資本主義国で世界第2位」になったのであって、当時はまだソ連のほうが日本よりGNPの規模が大きかったので、1968年には日本は世界では第3位になったに過ぎない、というわけです。上記のサイトでは、その根拠として、高校日本史の教科書や、政府のHPを複数挙げています。

ただ残念なことに、典拠だという日本史の教科書のページ数が記載されていません。これはいただけません。そこで早速、調べてみました。まず実教出版の『日本史B』新訂版(平成15年発行)ですが、p.347において、「日本経済は、1955(昭和30)年ころから73年ころにかけて年率10パーセントをこえる成長率で高度成長をとげ、国民総生産(GNP)はこの期間に実質5.4倍となり、1968年にはアメリカについで資本主義世界第2位となった」とありました。また、清水書院の『詳解 日本史B』改訂版(平成12年発行)では、p.343において、「船舶・自動車・鉄鋼の輸出が大きくのび、日本の国民総生産(GNP)は資本主義国ではアメリカについで世界第2位(1968年)の経済大国に成長した」とありました。

確かに、どちらも、日本のGNPが1968年に資本主義国のなかで世界第2位になったと書いています。では、日本のGDP(当時はGNPで比較するのが一般的でしたから、教科書ではGNPとなっていますが、GDPでもほぼ同じことです)が、社会主義国も含めて文字通り世界第2位になったのは、つまりソ連を抜いて世界第2位になったのは、一体いつだったのでしょうか? 残念ながら、これを論じているWebページが見あたりません。そこで、統計にあたって調べてみることにしました。

参照したのは、UN(国連)のStatistics Divisionが提供しているNatinal Accounts Main Aggregate Databeseです。ここの上から2番目に、GDP and its breakdown at current prices in US Dollarsという項目があります。この項目のなかにあるAll countries for all years - sorted alphabeticallyをクリックすると、世界各国の1970年以降のGDPのデータ(それ以外も含まれていますが)のExcelファイルを取得できます。以下は、このデータに基づく記述です。

まず1970年、ソ連のGDPは4334億ドル、日本のGDPは2029億ドル。確かに日本は、ソ連の足元にも及びません。このように、日本が経済規模でソ連に負けている状態は、1977年まで続きます(ソ連7384億ドル、日本6886億ドル)。そして1978年になって、ソ連のGDPの8401億ドルに対して、日本のGDPは9676億ドルとなり、逆転します。日本が、社会主義国も含めて文字通り世界で第2位の経済規模の国になったのは、この1978年だったわけです。ちなみに、この年に日本のGDPが一気に40%も増えたのは、すさまじく経済成長を遂げたというわけではなく、急激に円高が進んだのが原因です。この年、1ドル=300円台から一気に170円台にまで円高が進みました

せっかくなので、この統計で、Germanyがソ連を抜いて世界第3位になった年を調べてみたら、1986年でした。前年(1985年)と比較すると、GermanyのGDPが一気に4割以上増えています。ちなみに日本もこの年、5割近く増えています。これは、前年にプラザ合意があって、この頃マルク高・円高=ドル安が進んだせいですよね。国際比較のためにドルに換算すると、どうしてもこのような為替レートの急激な変動の影響が出てしまいます。

いずれにしても、各紙が報道するように、日本のGDPが「1968年から世界第2位」だったとか、「世界第2位の座を42年で明け渡した」というのは、どうも間違いなのではないでしょうか。そうではなく、「1978年から世界第2位」で、「世界第2位の座を32年で明け渡した」というのが、事実認識としては正しいのではないでしょうか。そうだとしたら、どうして、各社揃って判で押したように間違えているのでしょうか?


(注1)上記の国連統計を見ていると気づくことですが、1970年の時点では、日本のGDPは、GermanyのGDPを下回っています。日本のGDPがGermanyを上回るのは、1972年のことなのです。これについては、2通りの解釈がありえます。第一の解釈は、そもそも日本のGDPが西ドイツを上回ったのは1968年ではななかった、というもの。第二の解釈は、Germanyのなかに西ドイツと東ドイツとの両方が含まれている(ので、両者を合算したGDPでは、1971年までは日本を上回っていた)、というものです。じつはこの統計には、旧東ドイツを意味するGerman Democratic Republicという国名も、旧西ドイツを意味するWest Germanyという国名も見当たりません(旧ソ連や、旧ユーゴや、旧チェコスロバキアなどはあるのに)。このことから考えるに、わたしとしては、第二の解釈を取りたいところです。

(注2)上記の国連統計を見る限り、某質問サイトにある国連推計と称するデータは、正しくありません。学生諸君は、こういう「OKwave」とか「Yahoo!知恵袋」などを鵜呑みにするのではなく、きちんとご自身で統計を確認して下さい。何しろ今は、インターネットのおかげでじつに簡単に、統計にアクセスできる時代なのですから。

2011年1月23日日曜日

卒論を読み終えて

今春に卒業予定のゼミ生3名の卒論を、読み終えました。

我がゼミ生の卒論のクオリティは、かなり高い水準にあると思います。それは、ゼミ生の優秀さもありますが、こちらも一人一人に対して丁寧に手間暇をかけて個別指導しているからです。但し、丁寧に手間暇をかけて個別指導するとなると、少人数でないとできません。たとえばゼミ生が15人とか20人もいたりすると、丁寧な個別指導などはできないとも思います。

年度末となり、期末試験の作成と採点、レポートの採点、来年度の授業シラバス作成などに追われる時期です。さらには今年出る予定の本のゲラの校正や、研究会などもあります。中断している原稿執筆も、早めに再開しないといけません。というわけで、当分慌しい日々が続きそうです。体調を崩さぬように務めたいと思います。

2010年12月22日水曜日

年内授業終了

年内の授業が、今日で終わりました。
4年生は、年明けの卒論提出に向けて、いよいよ最後の追い込みとなります。風邪とコンピューターのトラブルに見舞われませんよう。
わたしも、依頼されている論文を書かなくてはなりません。と、その前に年賀状ですかね。

2010年12月14日火曜日

打ち合わせ@京都

昨日は、研究上の打ち合わせのために、日帰りで京都まで行ってきました。

東京駅まで向かう電車ではわたしの隣に座ってきた同年代の女性が化粧をおっぱじめて鬱陶しく、京都への新幹線では子どもの騒ぎ声で読書に集中できず、京都駅ではキャリケースを引っ張って走る若い女性にケースを勢いよくぶつけられ、帰りの新幹線では、通路を挟んで隣席のサラリーマンが名古屋から乗ってくるや否やジャケットを脱いで腕まくり+ズボンをたくし上げ、腕と足をボリボリと血がにじむまでかきまくっており(せめて化粧室にでも篭ってやっていただけるとありがたいのです)、さらに新幹線を降りてからの電車の中では運良く座れたと思ったらものの数分もしないうちに隣の隣の若い男性が豪快にリバース(嘔吐)を繰り返してしまっており、まったく散々な一日でした。よくも一日でこれだけのアクシデントに遭遇できたものです(笑)。

この数年、電車内での携帯電話、化粧、場をわきまえない飲食(マクドナルドや持ち帰りカレーなど)、騒いだり靴を脱がず座席に上がる子どもを叱らない親など、マナー違反で不快にさせられることが増えてきているわけですが、昨日はそのオンパレードのような一日でした。研究会が充実していて、初めてお会いした先生の謦咳に接することができたのが収穫でしたが、電車に乗るのがますますreluctantになりそうです。むかしは鉄道に乗るのが大好きだったのですが・・・。