2015年9月20日日曜日

反知性主義への抵抗:安全保障関連法をめぐっての雑感

安全保障関連法が、成立してしまいました(2015年9月19日2時18分)。はなはだ腹立たしく、また残念でなりません。

2013年の2月だったと思いますが、卒業生を送り出すという3年生の学生達が、「先生方からも、お祝いの言葉を欲しい」ということで、卒業生向けのビデオメッセージの収録に協力したことがあります。そのときに、次のような趣旨のことをカメラに向かって言いました。すなわち、「よく『戦後○○年』と言われているが、現在は、戦後ではなく、むしろ『新たな戦前』なのではないか」と。

このように言ったからといって、なにも、先見の明を誇りたいのでは、ありません。この言葉を発してから、わずか2年半後に、まさかこんな事態を迎えてしまうとは、まさかこの日本で「憲法守れ」と声に出さなくてはならなくなるとは、当時は、想像だにしていませんでした。先見の明を誇るどころか、むしろ、自らの不明を恥じることしきりです。


それはともかく、今回の国会論戦の4ヶ月あまりの間に、この国の社会に、大きな変化や注目すべき事があったと思います。

その第一は、「憲法は、主権者たる国民が、権力者を縛るものだ」ということへの理解が進んだこと。中等教育でほとんど教えられていないこの当たり前のことへの理解が進んだことは、とてもよい副産物だったと思います。また、「立憲主義」とか「立法要件」といった、政治学や法学での基本概念が、これほど多くの国民の間に、急速に理解され、浸透していたったのも、おそらく戦後はじめてのことでしょう。加えて言えば、政府が合憲の根拠だとした砂川事件の判決じたい、判決前にアメリカ側との調整がなされていたものだった、ということが知られるようになったのも、副産物のひとつでしょう。

第二に、非常に多くの全国の憲法学者や弁護士たちが、立場の違いや政治的スタンスを超えて、この法案の違憲性を、じつに積極的かつ精力的に表明していたこと。彼らが、国会で、テレビで、ラジオで、新聞で、本で、雑誌で、違憲性を表明したのみならず、さまざまなシンポジウムや集会を組織し、また何よりも街頭に出てきて、違憲性を訴えるスピーチを繰り返していたことには、率直に言って、驚かされました。たとえば、早稲田大学の長谷部さん、慶応大学の小林さん、東大元副学長の廣渡さんといった錚々たる法学者が、多忙を省みず、国会前や新宿などの街頭に何度も出てきて、その違憲性を訴えるスピーチをしたり、デモに参加したりしていた。このことは、多くの国民の関心を高め、またデモへの参加を誘ったのみならず、この問題に向き合う人びとに勇気や自信を与えたことと思います。もちろん、私も、その恩恵を受けた一人です。

第三に、マスコミ、特にテレビに対して、官邸から圧力がかかっているがゆえに、政権与党に都合の悪い情報が流れにくくなっている一方で、ビデオニュース・ドットコムIWJといったネットメディアが、法案の問題点を追及したり、街頭でのデモの様子を知らせることに、貢献していたこと。そしてツイッターやyoutubeが、これらの情報の周知・拡散に役立ったこと。たとえば、上述の長谷部さん、小林さん、広渡さんはもちろんのこと、「非政治的な人間」と自称する東大の石川さんのような憲法学者までもが、街頭に出てスピーチを行なっていたことは、多くのテレビではほとんど放映されなかったでしょうが、IWJやyoutube、それにネット上限定のニュースなどで見ることができました。

私も、今年の夏は、新宿や国会前のデモに行きました。行って初めて気づいたことが幾つかあります。

その一つは、そこに来ている人が、旧来型のデモの参加者と異なること。たとえば、私が行ったデモのひとつである、9/6の新宿での「安全保障関連法案に反対する学生と学者による街宣行動」では、労組の旗やノボリがまったくなかった。これはつまり、あそこに集まった1.2万人は、自分で考えて集まった人ばかりで、どこかの団体に動員されてやってきた人などいない、ということでしょう。そして、これとまったく同様のことを、当日のデモに参加していたという早稲田大学の長谷部さんも感じたようで、9/15のTBSの「NEWS23」で、次のように発言されていました。すなわち「9月6日、新宿で行われた行動に参加した。この時、共産党の志位委員長が『ここに参加している方はご自身の判断で参加し、抗議の声を上げている。これは日本社会に憲法の精神が根付いてきたからだ』と言った。私もそう思う。仮に法案が通っても、まだまだあきらめるには及ばない」と(それにしても、長谷部さんが、志位委員長の言葉を肯定的に紹介するとは、新鮮な驚きでしたが)。

巨大組織が動けば、多くの人を動員することができる。60年安保の反対運動などは、労組の動員が多くあった、と聞きます。しかし、組織に動員される人は、必ずしも納得して参加しているわけではなく、自発的ではないから、面倒くさく感じたりもする。他方で、自発的にやってくる人は、止むに止まれぬ思いから、納得して参加しているわけで、この違いは大きい。かつてのように動員で集まった20万人よりも、少人数でも自発的に集まった5万人のほうが、動きとしてはむしろ強いでしょう。

もう一つは、デモに参加するという身体的な行動は、自らの思考や精神に少なからず影響を与える、ということです。初めて街頭でマイクをにぎったという慶応大学の小林さんは、「街頭に出て吹っ切れた。一有権者として政治に参加している。心のなかでチャンネルが変わった」と言っています。デモに、なじみのなかった私も、おずおずと初めて参加して、この感覚を味わった感がありますし、おそらくこういう人は結構多いでしょう。選挙に参加することだけが政治なのではなく、選挙以外の時も街頭で声を上げるなど多様な形で行動する人が多くなれば、大きな世論が作られ、それがやがては議員の行動と議会に反映されていくということが、少しずつ多くの人に理解されはじめている。だから、法案は成立してしまったけれど、むしろ希望もあると感じます。これから違憲訴訟も起こされる。「安全保障関連法に反対する学者の会」も、9/20にさっそく、行動を起こしています。

最後に。広渡さんは、9/16の参議院の地方公聴会において、安倍政権による法案の審議を「反平和主義、反民主主義、反立憲主義」のみならず「反知性主義だ」と断じました。いま、国立大学(とくに人文社会科学系と教員養成系)には、政府から、猛烈な改変・縮小圧力がかかっています。これは、しばしば政権に批判的な声を上げる人文社会科学系の教員潰し、つまり広い意味でのリストラだと思います。広渡さんの言った反知性主義というのは、今回の法案に限定されていますが、いまの政府のやり方全体が反知性主義だと、多くの研究者が感じている。今回の安全保障関連法に関して、これだけ多くの研究者が声を上げたのも、このような状況ゆえのことでしょう。私も研究者の端くれとして、自分のできる形で、反知性主義に抵抗したいし、しなければ、と思っています。

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