2010年3月23日火曜日

卒業式

今日は、千葉大学の卒業式がありました。
わたしも、ゼミ生を送り出しました。とにかく健康に留意して、活躍して欲しいと願っています。

昨年度に卒業されたゼミ生の皆さんは、いかがお過ごしでしょうか。
本ゼミだった方も、サブゼミだった方も、たまには、近況を、メールででもお知らせ下さい。

2010年3月21日日曜日

ジャック・アタリ『21世紀の歴史』(作品社、2008年)

遅ればせながら、ジャック・アタリ『21世紀の歴史』(作品社、2008年)を読みました。

この本は、人類史を大きく発展させる原動力となった市場の発展の法則を踏まえ、21世紀の世界の行方を、大胆に試論的に論じた書です。アタリによれば、21世紀の世界は、次のような弁証法的なステップを踏んで展開していくといいます。すなわち、「第一段階:市場原理がますます発展していく(超帝国)」→「第二段階:秩序や安全性が大きく揺らぎ、世界各地で混乱や内戦などが頻発する(超紛争)」→「第三段階:市場の機能や暴走を制限し、人類の狂気を理性で押さえ込むことで、公正・平穏・連帯・友愛に満ちた世界が構築されていく」(超民主主義)というステップです。

アタリのこうした未来予測には、多くの異論・反論がありえるでしょう。しかし「なるほど、確かにそうなりそうだな」と思わされる指摘が随所に散りばめられているのも、事実だと思います。世界や社会の数十年単位での大きな流れがどうなっていくのかを考える上で、導きとなる本です。特に21世紀を長く生きていく若い人に読んで欲しい、そんな本です。

2010年2月9日火曜日

新日本製鉄君津製鉄所を見学しました

今日は、ゼミ生たちと新日本製鉄君津製鉄所を訪問し、銑鋼一貫製鉄所の諸工程を見学してきました。この工場見学は、もともとは昨年の8月31日に予定していたものでしたが、このときは、あいにく台風の直撃を受けて断念。今回の工場見学は「再チャレンジ」でした。


新日鐵君津製鉄所は、敷地面積こそ八幡製鉄所より若干小さいものの、粗鋼の生産高は同社で最大。年間に約1000万トンの粗鋼を生産しているそうです。日本の粗鋼生産高が年1.2億トン(2007年。2009年は、金融危機の影響をうけて、9000万トンを割り込んでいます)ですから、君津製鉄所だけで日本の粗鋼の約1割を生産していることになります。日本で最大級の製鉄所です。

製鉄所では、敷地の広さ、高炉の大きさ、圧延工程のダイナミックさなど、いろいろなものに驚かされました。敷地面積は約1020万平方メートルもあるそうです(東京ドーム220個分)。「5km×2km」と言った方が、わかりやすいかもしれません。これだけ大きい工場の敷地内ですから、あちこちで枝分かれした鉄道も敷設されています。もちろん歩いて移動するわけには行きませんから、バスに乗って見学することになります。そうやってたどり着いた高炉の、なんと大きなこと。高炉の高さは100メートル以上あるそうです。まるでピラミッドのようです。今回の見学のメインは、転炉で出来た鋼の塊(鋼片)を熱間圧延する工程でしたが、数メートル四方の熱々の鋼(スラブ)が、あっという間に数十メートルもの長さにローラーで伸ばされていく様は、とにかく「圧巻」でした。わたし自身は、銑鋼一貫製鉄所の諸工程(製銑(高炉)→製鋼(転炉)→圧延)について、かねてから本で読んである程度わかっていたつもりでしたが、百聞は一見に如かず。映像やパンフレットを交えつつの見学で、本を読むだけではわからなかったことも、これまで以上に理解を深めることができました。

日本の製鉄所の技術水準は世界一です。排熱等で発電を行って電力会社に電力を供給しているほか、工業用水も徹底的に再利用。単位あたりのCO2排出量も世界で最も少ない水準にあります。もちろん製品の技術力も高く、とくに自動車や家電用の薄型鋼板などは、中国やインドのメーカーには、日本のメーカーのようにはなかなか作れません(鉄鋼産業はとても地味な産業なので、その技術力の高さは、意外と知られていませんが・・・)。鉄鋼産業は、日本が世界に誇る技術を持つ産業のひとつなのです。

とても勉強になる「大人の社会見学」ですが、残念ながら、製鉄所内での写真撮影は、一部を除いて許されていません。おそらく、技術の漏洩を防ぐためもあるのでしょう。興味がある方は、ぜひ実際に見学に行ってみて欲しいと思います。わたし自身は、現在のゼミ生達が卒業したら、新しいゼミ生達とともに、また見学に行こうと思っています。



(2010年2月11日追記)
見学を終えての帰途、ゼミ生達と話していたときに「なぜ高炉は、三交代で24時間フルに稼働させているのか?」という疑問の声がありました。答えは、「高炉は、稼動させるのに時間がかかるので、簡単に停止-再稼動というわけにはいかない」というところですが、では、いったん止めた高炉を再稼動させるのにどれだけの時間が必要なのでしょうか? たまたま、新聞に、その答えとなるヒントが載っていました。

JFE、高炉1基を再稼動 輸出増などに対応
http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20100211ATDD1100E11022010.html

 JFEスチールは11日、減産のために2009年1月から休止していた西日本製鉄所倉敷地区(岡山県倉敷市)の高炉1基を再稼働させた。(中略)同日記者会見した野村寛・西日本製鉄所長は「順調なら数日でフル稼働に持っていきたい」と語った。

この野村所長の発言は、「高炉というものは、いったん止めてしまうと、フルに再稼動させるのに最低でも数日かかる」ということを意味しています。そういえば、「製鉄所のストライキで、高炉を止めるというのは、本当に最後のこと」という話を、組合運動に詳しい労働経済論の研究者から、かつて聞いたことがあります。高炉をストップさせるということは、企業側(経営者側)にとっても、労働者側(組合側)にとっても、よほどの事態なのだと言えます。



(関連参考資料)
川崎製鉄・川鉄マシナリー・山九 革新的な大型高炉改修技術による超短期改修の実現:大ブロックリング工法の開発

2010年2月1日月曜日

東京大学社会科学研究所を訪問

今日は、東京大学の社会科学研究所の図書室まで出かけて、必要としている資料のコピーを取って入手してきました。

ところで、東大の本郷キャンパスに行ったのは約4年ぶりでしたが、15階ほどある高層の新しいビルが建っていて、ちょっとびっくりしました。少し前まで、あのような高層の建物は、東大にはなかったはずです。「いったい何の建物だろう」と思い、帰宅してから東大のキャンパスマップを見てみたら、やはりと言うべきか、医学系研究科・医学部の建物でした。ちなみに、私の訪問した社会科学研究所の建物はと言えば、窓枠に鉄骨が入っていたことから、比較的最近に耐震補強工事がなされた様子でしたが、建物そのものは古いままで、改装さえされていませんでした。

それにしても、東京の都心の駅は、平日の昼間でも人が多くて、混雑しています。千葉大のある西千葉駅とは大違いです。

2010年1月23日土曜日

毛里和子先生(早稲田大学)の最終講義に行ってきました

今日は、学部時代の恩師の一人、毛里和子先生(早稲田大学)の最終講義「中国研究40年:光か闇か」に行ってきました。毛里先生は、現代中国研究の第一人者であり、その著作により、アジア太平洋賞大賞、大平正芳賞、石橋湛山賞などをこれまでに受賞されてきたのみならず、2003年には紫綬褒章も受賞されているという、まさに第一級の研究者です。

わたしは、毛里先生が早稲田大学に移籍される以前に奉職されていた横浜市立大学で、かつて講義(国際政治学、および中国研究I)を受講したほか、3年次には毛里ゼミに所属してご指導を受けるという機会に恵まれました。

今はどうなっているのかよくわかりませんが、当時の横浜市立大学の国際関係課程では、ゼミには2年次から所属することができ、またゼミの掛け持ちが可能な制度になっていました。わたしは、最終的に卒論は、掛け持ちしていた別のゼミで書いたので、毛里ゼミだったのは実は3年次の1年間だけであり、正確に言うと毛里ゼミのOBではありません。ただ、幸いなことに、大学を卒業してから後にも、早稲田大学の研究室に時折お邪魔させていただくことで、謦咳に接するという機会に恵まれました。特に会社を辞めて大学院に進学することを決めたときには、励ましをいただきました。また、千葉大学に奉職してからは、研究者としてのみならず大学人としての諸般について、ご相談をさせていただいたり、アドバイスを頂戴してきました。


最終講義では、中国政治の特質とか、中国の政治体制の行方とか、いろいろなお話しを伺えましたが、個人的に特に印象に残ったのは、次の二点です。

第一は、毛里先生は、20代から40代にかけて、23年間にわたって(財)日本国際問題研究所で勤務されてきたわけですが、ここで手がけた『新中国資料集成1945-1958』(全5巻)、『中国共産党史資料集1915-1945』(全12巻)といった資料集成編集の仕事が、研究の大きな土台になっているということです。「同世代で、これだけ資料を読んだ人はいないという自信がある」と仰っていましたが、長年に渡って、膨大な中国近現代史の重要資料を丹念に読み込み続けてきた人だけが手にできる圧倒的な蓄積が、その後の毛里中国研究を支えたようです。毛里先生が最初の単著を上梓されたのは50歳近くになってからなので、研究者としては比較的遅咲きだったのではないかと思うのですが、逆に言うと、そこに至るまでに、アカデミックな体力を、ひたすらに、徹底的に、蓄積し続けていたのだろうと思います。

文科系の研究者にとっては、20代どころか30代でさえ、まだまだ駆け出しです。最終的に、50代から60代にかけて、大きな華を咲かせることができるかどうかは、20代および30代の若い時期に、研究上の基礎体力を貯えることができるかどうかに左右されるように思いますし、そのためには、時間を確保して文献を丹念に読み込むことが、何よりも必要でしょう。そして毛里先生は、まさに、このような研究生活を送ってこられたのだろうと思います。対照的に、いまの日本はといえば、長い時間をかけて研究者を養成していくのではなく、とにかく成果(アウトプット)を短期的に求めている。このように短期的に成果を求めるようになると、若い研究者も生活がかかっていますから、成果の出やすい研究を手がけるようになり、短期的には成果の出にくい研究が遠ざけられかねません。これでは、学問の自殺です。日本の文科系の学問にいま必要なことは、毛里先生のように、若い頃にアカデミックな体力を蓄積し続けられる環境を整備することではないでしょうか。


第二は、「我敵と相見えたり。敵は我なり」、という言葉です。これはベネディクト・アンダーソンの近著『ヤシガラ椀の外へ』からの引用だったのですが、要するに研究者にとって、敵は、ライバルや研究対象ではなく、自分だ、ということです。

まったくその通りだと思います。研究者という職業には、他の職業と比較して時間的な自由という大きな特権がありますが、その自由は、研究生活のためのものです。ところが人間というのは、自由であると、時に、だらしなくなるものです。若い頃に研究意欲に燃えていた人であっても、歳をとると、怠け心というものが出てきたりします。物事がうまく進まない時というのは、誰にでもあり、人は、そのようなときに、お酒に逃げたりします。サラリーマンであれば、お酒に逃げても、次の日(または翌週)には、出勤しなければなりません。ところが、研究者の場合、そのような出勤の縛りが弱いわけで、そうなると、なかには、お酒に溺れていくような人もいます。かつては研究の意欲があったはずなのに、半分アル中のようになっているという研究者を、わたしも、いままでに見聞きしてきました。

これはやや極端な例ですが、歳をとると、フレッシュな問題意識や、研究対象に対する関心などが衰えてくるというのは、ごく一般的に見られます。研究の意欲を、数十年に渡って維持し続けるというのは、意外と難しいことのようです。こうなると、研究生活に「たるみ」が出てきてしまうのです。こうして「怠け」が始まります。それだけではない。歳をとると、視力が衰えることが多く、かりに研究意欲を保持し続けていても、文献と長時間向き合うのがむずかしくなる、というケースもあります。精神的に疲弊する問題に巻き込まれた結果、文献と向き合っても頭に入らず、それが長く続くうちに研究への熱意も冷めてくる、といったこともありえます。だから、長く研究生活を続けるためには、気力、体力、新鮮な問題意識など、いろいろなものの衰えを招かぬよう、強い自己管理が求められます。研究の敵とは、こうしたさまざまな「衰え」と「怠け心」なのです。逆に言うと、自分に克つことができれば、研究者として大成する可能性が高い、ということかもしれません。

関連して、「自分に克つ」ということで思い出すのは、数学者のルイ・ド・ブランジュ博士のことです。以前、「魔性の難問~リーマン予想・天才たちの闘い~」というNHKの番組で、難問・リーマン予想に挑み続けているド・ブランジュ博士が取り上げられていました。番組は、ウォーキングマシンで体を鍛えているド・ブランジュ博士の姿から始まります。じつは、ド・ブランジュ博士は、もう齢80歳に近いのです。ところがその「老人」が、なんとウォーキングマシンで必死になって汗を流しているわけです。「生きているうちになんとか、この難問を自分で解決したい、そのためにはまだまだ衰えているわけにはいかない・・・」。そんな気迫が見る者に伝わってきて、少なからず衝撃を受けました。そういえば、毛里先生も、小さなお体であるにもかかわらず、周りの研究者を驚かせるエネルギーの持ち主です。学問に必要なのは、はっきり言うと、体力です。また、わたしがまだ30代であるにもかかわらず、このような達観したことを言えるのは、腰痛になったり、目を酷使した挙句に眼科に駆け込んだりということを、何度か経験していることが影響しています(何の自慢にもなりませんが・・・)。



いずれにしても、わたし自身が研究者になったこともあってか、今日の毛里先生の講義は、研究のあり方をめぐって考えさせられることの多い、啓発された講義でした。そして、講義を拝聴したのは、実に13年ぶりでしたが、わたしにとっては、最後の講義が、最高の講義になったように思います。もう毛里先生の研究室を訪ねることができなくなってしまうのは、残念ですが、毛里先生とわたしは、所属学会が一つだけかぶっています。ですから、幸いなことに、学会でお目にかかれる機会は、今後もありそうです。毛里先生の今後のますますのご活躍を、祈念したいと思います。

2010年1月17日日曜日

センター試験

昨日、今日と、センター試験の業務に携わりました。
初日の土曜日の拘束時間は12時間超、二日目の日曜日の拘束時間は11時間弱でした。2日間であわせて23時間。2日間で、3日分の労働時間をこなしたことになります。さすがにぐったりです。

それはそうと、発展途上国の政治経済を専門とするわたしからすると、全国何万という試験教室すべてで、一斉かつ同時に、手違いなく試験が遂行されることには、純粋に感動を覚えます。全国津々浦々への問題配送と、回収された回答用紙の迅速な返送を支える輸送網、問題訂正や補足説明を全国の全試験会場に周知し、また各会場から大学入試センターへと報告を上げる通信網、試験の円滑な遂行を担う事務組織と、それを支える質の高い労働力・・・どれをとっても、途上国には存在しないか、あるいはあっても不十分にしか存在しないものばかりだからです。日本のセンター試験のような全国で何十万人もが参加する大規模な試験を一斉に行うというのは、後発発展途上国の大半には、むずかしいことなのです。

センター試験の仕事に携わるのは3年連続ですが、経験してみるまではわからなかったその大変さも、実際に経験してみると、かなりわかるようになってきました。2日間の試験実施の業務以外にも、事前の準備も含めて、いろいろな手間がかかっているのです。ちなみに言うと、教員よりも事務職員のほうが、拘束時間の長さも含めて苦労が大きいと言えます。しかも事務職員は、教員と違って、毎年、センター試験の業務に駆り出されているわけで、頭が下がります。こういった一人一人の力の積み重ねのおかげで、センター試験は成り立っているわけです。

2010年1月1日金曜日

『世界政治を思想する』(I・II)刊行のお知らせ

あけまして、おめでとうございます。

富山大学の佐藤幸男先生、国際基督教大学の前田幸男先生が編者の『世界政治を思想する』(I・II)(国際書院、2010年)が、このたび1月1日付で刊行されました。国際関係論、国際経済学、地理学などの研究者による学際的な論文集で、わたしも、第12章「国際コーヒー協定と脆弱国家」(第2巻所収)を担当しました。






出版社の紹介ページは以下のとおりです。

http://www.kokusai-shoin.co.jp/203.html

http://www.kokusai-shoin.co.jp/204.html