2019年9月22日日曜日

日本国際経済学会・第78回全国大会

日本国際経済学会の第78回全国大会が、9/28-29の2日間、千葉市の日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所で開催されます。

わたしにとっては地元開催ということで参加したいところですが、当日は2日間とも校務のため学会には欠席となります。遠方よりお越しの方々とお目にかかることができないのが残念です。


2017年8月23日水曜日

映画「すべての政府は嘘をつく」

映画「すべての政府は嘘をつく」をNHKで見た。
http://www.uplink.co.jp/allgovernmentslie/
http://www6.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/?pid=170201
http://www6.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/?pid=170202


日本では、2017年になってから「もり・かけ」問題が起きた。この問題は、第一次的には、森友学園への国有地の不正売却の疑いと、もともと新設不要の獣医学部が首相の友人の加計学園のために行政手続きを歪めてまで設置されようとしているという問題であった。いずれも、首相やその周辺のために、行政が「忖度」で動いた疑いが大きな焦点となっている。

ただし、もう一つの別次元の問題として、こうした疑惑を報じるメディアの問題、つまり報道機関の取材や報道の仕方がえらく腰が引けている、という問題が浮かび上がってきた。つまり、報道側も、財務省などの行政官僚と同じで、首相やその周辺に嫌われぬよう、「忖度」して取材したり報道している、ということである。加計学園の獣医学部新設問題に関して、流れを大きく変えたのは、6月の官房長官会見で執拗に食い下がって追及した東京新聞社会部の望月記者だったが、彼女に対しては、大手メディアの政治部記者によって構成される官邸の記者クラブが、「官房長官をあのように執拗に問い詰めると、有用な情報を貰えなくなるから、望月記者のあのような執拗な追及の仕方は良くない」と不快感を示した、という呆れた話が漏れ出てきた。他方で、政府への果敢な追及に同業者が不快感を示すことじたい、メディアや報道の本来のあり方として根本的におかしい、という真っ当な意見も出てきた。

そうしたなかで、この映画「すべての政府は嘘をつく」を見たのだが、この映画で、一番驚かされたのは、日米の共通性である。つまり、私はこの映画を見るまで、このような報道機関の取材や報道の仕方がえらく腰が引けているとか、権力者に嫌われぬよう適度に手を緩めて質問したり報道したりする、というのは、日本ではあってもアメリカではない、と思っていた。また、アメリカという国では、ジャーナリズムの独自性・独立性が高く、権力者を果敢に追及し、権力者と馴れ合いの会合の機会を持つことで追及の矛先が鈍るなどということはなく、調査報道が活発な国だ、と思っていた。

ところが、この映画を見て、私のこうした思い込みは、どうも間違っていたようだと気づかされたのである。この映画によると、アメリカでも、大メディア・大手マスコミになればなるほど、またそうした報道機関の上位層(経営者層)になればなるほど、権力を厳しく追及する気風は薄くなっている、というのである。また、アメリカに特徴的な深刻な問題として、戦争(たとえばイラク戦争など)に突入すると、「この戦争は、米国にとってきわめて重要であるのだから、メディアもそれに協力したりそれを支援したりしなくてはならない」と考える記者がたくさん出てきて報道が歪んでしまうのみならず、そうした記者たちは、政府が嘘をついていないか監視したり追及したりする同業者を批判したりする、というのである。

これでは、日本と何ら変わらないではないか。なるほど確かに、日本の「報道の自由ランキング」は、民主党政権時代の2010年には11位にまで上昇していたのに、安倍政権になってからはどんどん低下して、今や72位だが、ではアメリカはどうなのかと言うと、実はこれも結構酷くて、43位なのである(2017年)。要するに、問題は、アメリカのメディアは良いが日本のメディアはダメだ、などという単純な話ではないということだ。そうなると、では、ジャーナリストとしての本来のあり方、つまり「記者魂」はなぜ失われていってしまうのか、ということが問われなくてはならない。

例外もあるとはいえ、多くの人間は、高いステイタスや高い収入を好む。そうしたステイタスや収入は、それなしには得られないクオリティの高い生活、さまざまな得がたい経験、そして社会に広範な影響を与える意思決定への関与といった、ごく一部の人だけに与えられるものをもたらす。だが、こうした生活・経験・関与に恵まれるようになると、だんだんと、それを可能にしてくれているステイタスや収入を維持することへの執着が強まっていく。そうなると、ステイタスや収入じたいが目的化していく結果、圧力や軋轢を伴う行動や判断はなされなくなっていく。換言すると、社会的な正義や価値へのコミットメントよりも、個人の損得へのコミットメントが優先されてしまう、ということだ。

このような構造が学術界にもあることは、学者というものをある程度の年月以上やった人なら、私も含めて気づいているはずである。これの最も分かりやすい例は、いわゆる原子力ムラである。原子力ムラでは、ものすごく多額の研究費が動くので、正義や価値へのコミットメントよりも、損得へのコミットメントが優先されてしまいやすいのである。このムラにどっぷりつかった学者が、3.11以降、原子力に関する過去の言動を批判されると、「私にも家族がある」などと開き直ることが多いそうだが、こうした開き直りは、個人の損得を重視する一方で社会的な正義や価値にはコミットしなくなるという事態をよくあらわしている。そして、このような事態は、日米の、否、先進国の多くのジャーナリスト、行政官僚、政治家、学術研究者など、各界の指導的立場にある人物にかなり広く見られる事態であると考えたほうが良いだろう(もとより、国によっても程度の違いはあり、日本ではとりわけ損得への傾斜が深刻であるとは思うが)。

この映画が、人々にどのように見られているのかは、私の知るところではない。この映画は、私にとっては、未知だったI・F・ストーンの優れた報道姿勢を教えてくれたこと以上に、現代社会のきわめて根の深い問題――社会的な正義や価値へのコミットメントよりも、個人の損得へのコミットメントが優先されがちになっている――を、改めて気づかせて、考えさせてくれた映画として、秀逸なのである。


2016年11月27日日曜日

国際開発学会@広島大学

広島大学で開催された国際開発学会の全国大会に参加してきました。私のこの学会への参加は、じつはあまり活発ではなく、秋の全国大会に参加したのは4年ぶりです。

広島大学には初めて行きました。西条駅というところからバスで10分強だったでしょうか(帰りは遠回りになるので20分ぐらい)。駅から徐々に坂道を登るようにして大学へ。西条駅のそばには学生向けと思われるワンルームマンションが林立していますが、この道を自転車で行くのは結構大変ではないかと思います。あるいは、広島市内の高校の卒業生たちは、どのように通学しているのでしょうか。なかには下宿している人もいるのでしょうか。大学の立地やキャンパス内の雰囲気は、町中から山中に移転した金沢大学に似ていると感じます。

学会で全国あちこちの大学に行くと、しばしば痛感するのは、千葉大学の立地がいかに恵まれているか、ということです。本数の多い総武線の西千葉駅から徒歩1分。これ以上望みようのない利便性です。郊外にある大学にありがちな、駅から大学までのアップダウンも、大学内でのアップダウンも、ありません。これは、汗をかく暑い時期には特にメリットです。そして、すこし高台にあるので、津波の心配もありません。


さて学会の話。この国際開発学会のよいところは、質疑応答が活発なことと、発表数が多いことでしょう。他方で、発表数が多すぎて玉石混交の傾向があるということも、しばしば聞きます。おそらくそのとおりでしょうが、玉石混交のデメリットよりも、発表数が多いというメリットのほうが勝っていると思います。そもそも、発表数が多ければフィルターをかけて質の高い報告に絞ることは可能でしょうが、発表数が少なければフィルターをかけようがなくなりますから。

会員数1600名余りの学会で、参加者は300名程度あったそうです。参加率が高いのも、この学会の特徴だと思います。外部の会場を借りているわけでもないのに、大会参加費が事前振込で3000円、当日支払で5000円もかかるというのに、よくこれだけ集まると思います。この学会の会員のコミットする意欲を感じます。

ただ、学会のプログラムが発表される前に、参加費の事前振込が締め切られるというのは、問題があります。これだと、プログラムを見てから参加するかどうかを決めるということができません。また、事前振込の場合、要旨をオンラインでダウンロードできるのに、当日参加の場合にはこれができないというのも、残念なことです。いずれも改善をお願いしたいところです。

2016年11月21日月曜日

映画「チリの闘い」(三部作)

映画「チリの闘い」三部作を見ました。
http://www.ivc-tokyo.co.jp/chile-tatakai/

9.11といえば、2001年の同時多発テロを思い浮かべるのが一般的だ。だが、ラテンアメリカで9.11といえば、1973年のピノチェトによるアジェンデ政権に対するクーデターだ、という。

このアジェンデ政権の話は、その意義(選挙によって成立した世界初の社会主義政権)も含めて、院生時代に師匠から思い入れたっぷりに、何度か聞かされたことがある。1940~50年代生まれの世代には、若い頃に目の当たりにしたアジェンデ政権の誕生に思い入れを持っている人が少なからずいる、という印象を僕は持っている。

他方で、アジェンデ政権の崩壊後に生まれた僕にとって、同政権についての理解とは、ピノチェトによる軍事クーデターで倒され、しかもその背後にCIAがあった、という程度のものだった。だが、この映画では、軍事クーデターに至るまでの右派によるアジェンデ政権への攻撃のプロセスと、それに対する左派(大衆)の抵抗を詳しく描写するところに、むしろ重点が置かれている。

この映画をみて、アジェンデ政権に対する右派および米国からの攻撃が、どういったものだったのかが、よくわかった。たとえば、米国による禁輸措置で部品等が入りにくくなることで経済活動が低迷するとか、経営者や専門職といった社会的に恵まれた層がストライキ=生産・職場放棄をして経済活動を停滞させることで、大衆がアジェンデ政権に不満を持つようにしていくとか、である。もちろん、このようなことをすると、この社会的に恵まれた層の収入は当然減るのだが、その収入を補填するためにCIAが資金面で支えていた、という。さらには、労働者であるトラック・バス運転手が経営者側の言いなりになって輸送をサボることで経済活動を停滞させる、ということも行なわれていた。トラック・バス運転手は歩合制なので、仕事をサボると収入減になるし、経営者側も収入減になるのだが、これもCIAが背後から資金面で支えていたという。あるいは、自営業や商店主などが小売活動を放棄することで、大衆が生活必需品や食料を入手しにくくなる、ということも行なわれていた、という。

他方で、左派(大衆)の抵抗=アジェンデ政権支持のための努力も、じつに驚くべきものである。経営者・専門職なしに自主的に工場を運営し、物資を輸送し、さらには自営業や商店主などの小売活動の放棄=商品の入手難に対しても、自主的に配給制度や商店を運営していく。「選挙によって成立した世界初の社会主義政権」は、考えてみれば当然のことながら、多くの大衆の献身的な努力――右派からの嫌がらせをものともせず、政権を支持するために各自が成しうることを自主的に進めていく――によって、支えられていたのである。

このように、アジェンデ政権に対する右派からの攻撃プロセスと、それに対する左派(大衆)の抵抗のいずれについても、今までまったく知らなかったことが多く、この映画を見ることは、チリ現代史のよい学習になった。

日本でも、かつて普天間基地の移設先をめぐって鳩山政権が国内から攻撃され、あっという間に崩壊していったが、この映画を見れば、これは当然のことだったと思える。なぜなら、チリでは、米国から支援を受けた右派によるアジェンデ政権への攻撃に対して、大衆は団結して同政権を守ろうと必死に奮闘したが(それでも同政権は、最終的には軍事クーデターにやられてしまったが)、日本では、人々は選挙で鳩山政権を選んでおきながら、米国(のジャパン・ハンドラー)から脅されると途端に、冷酷にも同政権を支えようとしなくなったからである。これでは、鳩山政権が短命に終わったのも当然だった。

この映画は、ある政権が米国と対峙しようとした時に、国内外からどのように攻撃され、いかなる困難に直面するのか、そしてこうした困難はいかに乗り越えられるべきかという普遍的な課題――チリや日本だけに限らないはず――を、見る者に突きつけているのである。


2016年11月4日金曜日

社会科学系研究者は秋の週末をどう過ごしているか

研究者として大学に職を得て今年で10年目となる。毎年のことだが、秋は予定が多く、土日がふさがりやすい。今年の場合だと、
10/15-16:学会大会
10/22-23:学会大会
10/29-30:学会大会
11/5-6:なし
11/12-13:入試
11/18-19:入試または学会役員会
11/26-27:学会大会
12/3-4:なし
12/10-11:研究会
12/17-18:学会役員会
という感じである。こうみると、予定の入っていない週末もあるが、そういう時は授業の準備をしたり、書類を作ったりといった仕事のほか、扇風機を仕舞ったり、衣替えをしたり、網戸を掃除したり、ストーブ・加湿器を押入れから出して冬支度をしたり、年賀状を書いたり・・・といった雑用でつぶれている(いく)。だから、この時期には週末に研究するということも、なかなかできないでいる。

もともと前期より後期のほうが授業負担が大きいこともあって、例年、10-11月のこの時期は授業と校務と学会大会と入試などで首が回らなくなる傾向があったが、2年前から学会の役員になって役員会が年に6回も入ってこの傾向が強まってきた。おかげであちこちに不義理をしているし、同業者ではない知人と会ってoffの時間を過ごすといったことができなくなってきているのも、困ったものである。何とかならないものだろうか。「学会を辞めれば解決する」と言われればそのとおりなのだが・・・。とある同業者は、複数の学会の役員会と、合計6つの科研費プロジェクトの会合で週末はほぼ全部つぶれている、と言っていた。凄い人がいるものである。私の場合、そこまでの気力と体力はない。

2016年10月16日日曜日

学会の秋

研究関係の締め切り仕事2つをようやく終えて、一息ついたあとは、この週末から3週連続で学会。今年は、これらのうち遠方での学会は1つだけなのが、せめてもの幸い。

この週末(10/14-10/16)は、まずは日本国際政治学会。幕張開催であったのにもかかわらず、行きたかった金曜日のセッションに行くことは、授業でかなわず、結局は今日だけの参加。登壇していた学部時代の師匠のお一人は健在であったのみならず、そのシャープさが光っていた。学会の運営、学術研究のあり方について示唆を得た。

2016年6月5日日曜日

第7期沖縄意見広告

今年も沖縄意見広告運動に名を連ねました。例年一緒に名前を連ねていた先輩方、友人達の名前が見えなくなったのが残念ですが、「たまたま」だと思いたいです。賛同者総数そのものは、昨年よりもさらに増えています。

http://www.okinawaiken.org/2712/