今日の日経新聞に、下宿している大学生への仕送り額の変遷のデータが載っていました。データは、全国大学生活共同組合連合会が、全国の下宿している大学生5000名余りを対象に調査して得られたものです。詳しい数値は同連合会のサイトにあります。
これによると、2000年には9万7120円だった平均仕送り額が、2010年には7万1310円にまで下がっています。もっと驚くべきことは、学生の仕送り額を、「月に10万円以上」「月に5万円以上10万円未満」「月に5万円未満」の3つに分けた場合に、2001年までは、下宿学生のうち6割以上が「月に10万円以上」だったのに、この比率がどんどんと低下しいまや3割強にまでなっていること、そして2010年には「月に5万円以上10万円未満」が最も多い層になっていることです。また、「月に5万円未満」も、2002年から上がりはじめ、いまや25%を超えています。この調子だと、近い将来に、「月に5万円未満」の率が「月に10万円以上」の率を上回る可能性もありそうです。
わたしが大学生だったのは、1990年代前半から後半にかけてですが、親からの仕送りは1年次が月10万円、2年次以降は月10.5万円でした。当時わたしは朝夕2食つきの賄いつきの下宿(こういう下宿は当時も絶滅寸前でしたが、いまはもっと見当たらないでしょう。というか、「賄いつきの下宿」というものをイメージできない学生さんが多いかもしれません)に住んでいて、大家さんに払う費用は1年次が月5万円、2年次以降は月5.5万円でした。さすがに残る5万円では苦しいので、大学の無利子の奨学金を月に3.5万円もらっていましたが、このおかげで生活に苦労することはありませんでした。若干のバイトもしましたが、バイトなしでもやっていける状態でした。
この調査からすると、今の時代、月10.5万円の仕送りは多いほうなのでしょう。しかし今の学生さんは驚かれるかもしれませんが、私が大学生だった時、私よりも多く仕送りをもらっている友人がゴロゴロいました。わたしの大学時代の親友2人からは、ともに月13万ぐらい仕送りしてもらっていると聞いた記憶があります。
もちろんこの額は、平均なので、学生の住んでいる場所が地方か都会かなどで違うかもしれません。しかし景気低迷とデフレの影響がハッキリ出ていることは否定できないでしょう。わたしもゼミの学生さんとのコンパのときには、もう少し財布を緩めたほうが良いのでしょうか。しかし勤労者である現役世代にとっても、景気低迷とデフレの影響で、給与水準も生涯年収も下がってきています。まったく悩ましい話です。
2011年9月5日月曜日
2011年8月31日水曜日
東京造幣局を見学してきました
今日は、ゼミの一環として、東京造幣局を見学してきました(台風が来るのではないかとやきもきしていたのですが、関東には影響がありませんでした)。
造幣局と言えば、「コインを作っているところ」というのが、日本人の一般的な理解だと思います。これは間違いではないのですが、我々が日常使っているコインは、じつは東京造幣局ではなく、広島造幣局で作っているそうです。では東京造幣局ではコインは作っていないのかというと、そういうことではなく、一般にはほとんど流通しない、レア物の「プルーフ貨幣」というコインを少量生産しているのだそうで、その製造工程について、説明を受けながら実地に見学することができました。
東京造幣局で作っているコイン以外のものとしては、勲章や褒章があります。製造は手仕事によるところが多く、完璧に職人さんの世界でした。公務員でこういう仕事をしている人がいるとは、考えたことがありませんでした。
ちなみに勲章についてですが、公務員で一定以上の職(学校の教員だと校長など)を務めると、晩年には叙勲の対象になるはずですので、わたしなどは「うちのゼミ生たちも、あと60年ぐらいしたらこれを受け取るのかもしれないな」と思いながら見ていました。ここでは、大勲位菊花章頸飾や、大勲位菊花大綬章といった、高位の勲章も見ることができます。最高位の大勲位菊花章頸飾は、大きい上に22金なのでかなり重そうでした。これを戦後に受賞した日本人は、皇族を除くと吉田茂と佐藤栄作の二人だけだそうです。納得できる話です。
ところで、造幣局は東京・大阪・広島の三拠点体制ですが、意外なことに大阪が本局で、東京は支局なのだそうです。これは明治のはじめに貨幣制度が構築されるときに、財政的な裏づけから大阪に拠点が構えられたところに由来しているという説明をうけましたが、当時の詳しい意思決定については、正直言ってよくわかりません。ただハッキリしているのは、日本のなかでの商都・大阪の経済力が、当時はかなり高かったということでしょう。
造幣局と言えば、「コインを作っているところ」というのが、日本人の一般的な理解だと思います。これは間違いではないのですが、我々が日常使っているコインは、じつは東京造幣局ではなく、広島造幣局で作っているそうです。では東京造幣局ではコインは作っていないのかというと、そういうことではなく、一般にはほとんど流通しない、レア物の「プルーフ貨幣」というコインを少量生産しているのだそうで、その製造工程について、説明を受けながら実地に見学することができました。
東京造幣局で作っているコイン以外のものとしては、勲章や褒章があります。製造は手仕事によるところが多く、完璧に職人さんの世界でした。公務員でこういう仕事をしている人がいるとは、考えたことがありませんでした。
ちなみに勲章についてですが、公務員で一定以上の職(学校の教員だと校長など)を務めると、晩年には叙勲の対象になるはずですので、わたしなどは「うちのゼミ生たちも、あと60年ぐらいしたらこれを受け取るのかもしれないな」と思いながら見ていました。ここでは、大勲位菊花章頸飾や、大勲位菊花大綬章といった、高位の勲章も見ることができます。最高位の大勲位菊花章頸飾は、大きい上に22金なのでかなり重そうでした。これを戦後に受賞した日本人は、皇族を除くと吉田茂と佐藤栄作の二人だけだそうです。納得できる話です。
ところで、造幣局は東京・大阪・広島の三拠点体制ですが、意外なことに大阪が本局で、東京は支局なのだそうです。これは明治のはじめに貨幣制度が構築されるときに、財政的な裏づけから大阪に拠点が構えられたところに由来しているという説明をうけましたが、当時の詳しい意思決定については、正直言ってよくわかりません。ただハッキリしているのは、日本のなかでの商都・大阪の経済力が、当時はかなり高かったということでしょう。
2011年7月30日土曜日
『国際政治モノ語り:グローバル政治経済学入門』刊行のお知らせ
このたび、富山大学の佐藤幸男先生を編者とする『国際政治モノ語り:グローバル政治経済学入門』(法律文化社、2011年)が、刊行されました。わたしは、第5章「石油:『資源の呪い』とその克服の方向性」を担当しました。
本書は、タイトルこそ国際政治と銘打たれてはいますが、政治学者・経済学者・歴史学者(特に世界システム論)の研究者による学際的な本であり、むしろサブタイトルにある「グローバル政治経済学入門」のほうが、内容をより正確に表しているかもしれません。木材、マグロ、水、米、コーヒー、象牙、ダイヤモンド、兵器といった、さまざまなモノを手がかりにしてグローバル政治経済を探ることと、「資本主義経済が不平等を前提に発展」してきたという世界システム論的な考察とが、本書の二本柱となっています。したがって、世界経済・国際経済を学ぶ方々にも推奨できる本です。機会がありましたら、ぜひ手にとっていただけますと幸いです。
本書は、タイトルこそ国際政治と銘打たれてはいますが、政治学者・経済学者・歴史学者(特に世界システム論)の研究者による学際的な本であり、むしろサブタイトルにある「グローバル政治経済学入門」のほうが、内容をより正確に表しているかもしれません。木材、マグロ、水、米、コーヒー、象牙、ダイヤモンド、兵器といった、さまざまなモノを手がかりにしてグローバル政治経済を探ることと、「資本主義経済が不平等を前提に発展」してきたという世界システム論的な考察とが、本書の二本柱となっています。したがって、世界経済・国際経済を学ぶ方々にも推奨できる本です。機会がありましたら、ぜひ手にとっていただけますと幸いです。
2011年7月16日土曜日
猛暑と節電のなか、前期終了:ウルトラ・クールビズを実行しました
前期の授業期間が終了しました。今年は節電のため、授業期間が短縮され、テストを含めて7/16までに全て終了させることになったので、例年になく早く夏休みに突入することになります。酷暑のなか、授業では冷房がほとんど使えないという困難はあったものの、「来年以降もずっとこれ(7月半ば終了)でいい」という感じです。このことについては、数名の同僚も同じ意見でした。
今年は節電と、その後に出てきた「ウルトラ・クールビズ」の流れにのって、6月末から短パンで出校し、教壇に立ちました。じつは、昨年から、真夏に長ズボンを履いて出校する事に困難を覚えており(いろいろ事情があって、ものすごく汗をかいていたからです)、震災以前から短パンでの出校を目論んではいたのですが、いかんせん踏み切るべきかどうか、悩みがありました。しかし節電要請のなかで、世の中でも短パンを可とする「ウルトラ・クールビズ」が出てきたので、これ幸いと実行してみた次第です。
結論としては、短パンでの出校はとても快適で、来年以降も電力需要に関係なく、短パンで出校し教壇に立つつもりです。もとより、「短パンなんて、大学の教員としてふさわしくない格好だ」というお叱りが一部にあることは承知しています。ですが、長ズボンを履いて冷房をガンガン効かせるより遥にエコで良いはずですし、学生諸君も私の講義を「聞く」ために大学に来ているのであって、格好を「見る」ために来ているわけではありますまい。なにより学生諸君がわたしの短パン姿を支持してくれたのが幸いでした。
「クールビズ」というものが出てくる以前は、夏でもネクタイを締めるのが普通でした。でも、いまは、夏はノーネクタイというのがすっかり定着したように思います。エンジニアや内勤の方のみならず、お客さんを相手にする営業マンでさえ、ノーネクタイがごく普通になりました。好ましいとされる服装の規範なるものは、時代とともに変わってきたし、今後も変わっていくのだと思います。
学部講義のテストの採点も終わり、あとは大学院のレポートの採点を残すのみとなりました。例年以上に長い夏休みですので、研究に励めたらと思っています。
今年は節電と、その後に出てきた「ウルトラ・クールビズ」の流れにのって、6月末から短パンで出校し、教壇に立ちました。じつは、昨年から、真夏に長ズボンを履いて出校する事に困難を覚えており(いろいろ事情があって、ものすごく汗をかいていたからです)、震災以前から短パンでの出校を目論んではいたのですが、いかんせん踏み切るべきかどうか、悩みがありました。しかし節電要請のなかで、世の中でも短パンを可とする「ウルトラ・クールビズ」が出てきたので、これ幸いと実行してみた次第です。
結論としては、短パンでの出校はとても快適で、来年以降も電力需要に関係なく、短パンで出校し教壇に立つつもりです。もとより、「短パンなんて、大学の教員としてふさわしくない格好だ」というお叱りが一部にあることは承知しています。ですが、長ズボンを履いて冷房をガンガン効かせるより遥にエコで良いはずですし、学生諸君も私の講義を「聞く」ために大学に来ているのであって、格好を「見る」ために来ているわけではありますまい。なにより学生諸君がわたしの短パン姿を支持してくれたのが幸いでした。
「クールビズ」というものが出てくる以前は、夏でもネクタイを締めるのが普通でした。でも、いまは、夏はノーネクタイというのがすっかり定着したように思います。エンジニアや内勤の方のみならず、お客さんを相手にする営業マンでさえ、ノーネクタイがごく普通になりました。好ましいとされる服装の規範なるものは、時代とともに変わってきたし、今後も変わっていくのだと思います。
学部講義のテストの採点も終わり、あとは大学院のレポートの採点を残すのみとなりました。例年以上に長い夏休みですので、研究に励めたらと思っています。
2011年6月29日水曜日
猛暑日、しかし冷房は使えず
今日は千葉市で35.0度を記録したそうです。この夏初めての猛暑日でした。ちなみに、千葉市で6月に猛暑日を観測したのは、史上初だそうです。
さてわたしは水曜日の3時間目に講義を行っています。大学は電力の大口需要者であり、電力需給が厳しいということで、節電を心がけるようにしています。今日もなるべく冷房を使わないようにしたいとは思ったのですが、いかんせん一日のなかで一番暑い昼過ぎの教室に温度計を持ち込むと、たちまち30度を超えてしまいました。しかも湿度も75%を超えていたので、授業開始後しばらくしてすこし冷房を入れてみました。
ところが、しばらくすると省エネ担当の方が教室までお見えになり、「電力使用量が増えていて非常にまずいので、エアコンを切って欲しい」とのことでした。致し方ありません、エアコンは切りました。すると再び蒸し風呂に逆戻りです。
節電のためにエアコンが使えないのは仕方がありません。また、私の職場の講義棟は築40年を超えていますが、むかしはエアコンなしだったのも事実で、贅沢を言ってはいけないのでしょう。ただつくづく問題だと思うのは、建物の断熱性が低いことです。壁や天井にはおそらく断熱材など入っていないように思われます。窓もガラス一枚です。これでは、外気の影響をモロに受けてしまいます。この(おそらく)断熱材なし、一重窓というのは、講義棟だけではなく、研究室のある建物も同じで、私の研究室は最上階ですが、真夏の昼間などは冷房を切るとたちまち30数度になります。建物自体が発熱してしまっているという感じです。
建物に断熱材が入っていれば、そして窓が二重になっていれば、外気の影響を受けにくくなりますし、エアコンも、少し入れただけでよく効くようになるはずです。そしてそうであれば、エアコンによる電力の消費量もぐっと少なくて済むわけです。
本州の建物では、断熱材なし、窓は一重というのが一般的ですが、私の生まれ育った北海道ではまったく違います。建物には断熱材が入り、窓が二重というのが常識です(窓が一枚の建物など、ありません)。とはいえ最近は本州でも、新築のマンションなどで外断熱を売り物にしているものが増えていますし、エコポイント制度の後押しもあって、窓を二重化する家も増えていると思います。こういう、断熱効果を高めた建築が、もっともっと世の中に広まらないといけません。
本来ならば、数年前の教育学部の建物の改修工事のときに、断熱材を入れたり、窓を二重にするなど、断熱効果を高める処置をしておければよかったとわたしは思います。じつは改修工事の際、わたしは、研究室のある建物については窓を二重にするよう、要望しました。断熱効果を高める処置をすれば、それだけお金がかかりますが、その分だけ冷暖房費が削減されるわけで、長い目で見ればそのほうが安上がりになるはずだし、何よりもエコだろうという考えに基づいたものです。しかし要望は、「予算がない」の一言で却下されました。
要するに、断熱効果を高める処置という、短期的にはお金がかかってマイナスだが長期的には電力の節約になってプラスという政策がとられなかったわけです。そして、断熱効果を高める処置をしないので、短期的には安上がりでプラスだが、長期的には毎年毎年電力を浪費してしまいお金がかかるという、マイナスの政策が取られたわけです。このツケが、節電が求められるようになった今夏に、早速出ているわけです。
こういう、目先の利益を優先したばっかりに、長期的にツケを払わされるという構図は、もうありとあらゆるところにあります。消費税を上げるよりほかないはずなのに、なかなか上げられない日本の政治経済状況もこれに似ているように思います。
なんだか最後は暗い話になってしまいました。来週の授業日は、暑くなければよいのですが。
さてわたしは水曜日の3時間目に講義を行っています。大学は電力の大口需要者であり、電力需給が厳しいということで、節電を心がけるようにしています。今日もなるべく冷房を使わないようにしたいとは思ったのですが、いかんせん一日のなかで一番暑い昼過ぎの教室に温度計を持ち込むと、たちまち30度を超えてしまいました。しかも湿度も75%を超えていたので、授業開始後しばらくしてすこし冷房を入れてみました。
ところが、しばらくすると省エネ担当の方が教室までお見えになり、「電力使用量が増えていて非常にまずいので、エアコンを切って欲しい」とのことでした。致し方ありません、エアコンは切りました。すると再び蒸し風呂に逆戻りです。
節電のためにエアコンが使えないのは仕方がありません。また、私の職場の講義棟は築40年を超えていますが、むかしはエアコンなしだったのも事実で、贅沢を言ってはいけないのでしょう。ただつくづく問題だと思うのは、建物の断熱性が低いことです。壁や天井にはおそらく断熱材など入っていないように思われます。窓もガラス一枚です。これでは、外気の影響をモロに受けてしまいます。この(おそらく)断熱材なし、一重窓というのは、講義棟だけではなく、研究室のある建物も同じで、私の研究室は最上階ですが、真夏の昼間などは冷房を切るとたちまち30数度になります。建物自体が発熱してしまっているという感じです。
建物に断熱材が入っていれば、そして窓が二重になっていれば、外気の影響を受けにくくなりますし、エアコンも、少し入れただけでよく効くようになるはずです。そしてそうであれば、エアコンによる電力の消費量もぐっと少なくて済むわけです。
本州の建物では、断熱材なし、窓は一重というのが一般的ですが、私の生まれ育った北海道ではまったく違います。建物には断熱材が入り、窓が二重というのが常識です(窓が一枚の建物など、ありません)。とはいえ最近は本州でも、新築のマンションなどで外断熱を売り物にしているものが増えていますし、エコポイント制度の後押しもあって、窓を二重化する家も増えていると思います。こういう、断熱効果を高めた建築が、もっともっと世の中に広まらないといけません。
本来ならば、数年前の教育学部の建物の改修工事のときに、断熱材を入れたり、窓を二重にするなど、断熱効果を高める処置をしておければよかったとわたしは思います。じつは改修工事の際、わたしは、研究室のある建物については窓を二重にするよう、要望しました。断熱効果を高める処置をすれば、それだけお金がかかりますが、その分だけ冷暖房費が削減されるわけで、長い目で見ればそのほうが安上がりになるはずだし、何よりもエコだろうという考えに基づいたものです。しかし要望は、「予算がない」の一言で却下されました。
要するに、断熱効果を高める処置という、短期的にはお金がかかってマイナスだが長期的には電力の節約になってプラスという政策がとられなかったわけです。そして、断熱効果を高める処置をしないので、短期的には安上がりでプラスだが、長期的には毎年毎年電力を浪費してしまいお金がかかるという、マイナスの政策が取られたわけです。このツケが、節電が求められるようになった今夏に、早速出ているわけです。
こういう、目先の利益を優先したばっかりに、長期的にツケを払わされるという構図は、もうありとあらゆるところにあります。消費税を上げるよりほかないはずなのに、なかなか上げられない日本の政治経済状況もこれに似ているように思います。
なんだか最後は暗い話になってしまいました。来週の授業日は、暑くなければよいのですが。
2011年6月23日木曜日
OBの訪問
今日は研究室に、学校教員となったゼミのOBが、訪ねてきてくれました。夕方だったので、ほどなくして西千葉駅近くの居酒屋に移動して、配属されている学校現場のことや、授業のやり方のことなどを聞かせてくれました。立派に仕事をこなしているようで、頼もしく感じました。その後、途中から別の卒業生も参加してくれて、楽しいひと時を過ごすことができました。うっかり遅くまで飲みすぎてしまったので、朝早い学校の先生には、ご迷惑をおかけしたかもしれません(すみません、反省しています)。これに懲りず、また遊びに来てくれたらと思います。
教え子の訪問を受けて、ふと大学院生時代の師匠のことを思い出しました。教え子である私は、師匠にはしばらくお会いしていないのですが、たまには足を運んで、杯を傾ける機会を持ちたいものです。
教え子の訪問を受けて、ふと大学院生時代の師匠のことを思い出しました。教え子である私は、師匠にはしばらくお会いしていないのですが、たまには足を運んで、杯を傾ける機会を持ちたいものです。
2011年6月10日金曜日
論文脱稿
少し前のことになりますが、久しぶりに専門の論文を1本書く機会があり、5月に脱稿しました(本当は、「久しぶり」ではいけないのですが、いかんせんこの間、教科書的な本の分担執筆の仕事が2つあり、また専門とは関係がない論文を書いていたりもしたので、久しぶりになってしまいました)。書いていたのは主に2月から5月にかけてでしたが、この間に東日本大震災があり、余震に怯えながらの執筆でした。
論文の執筆中、本山美彦編『開発論のフロンティア』(同文館、1995年)の「はしがき」を何度も何度も繰り返し読みました。この「はしがき」は、本山先生が阪神淡路大震災の直後に書かれたものですが、神戸にて被災者として経験したことを素材とし、災害という一種の極限状況から途上国の人々の置かれた状況を類推的に考察した上で、近年の開発経済論のあり方を批判したものです(本そのものは開発経済論の論文集なのに、この「はしがき」のおかげで、関西では震災本の一つとしてもリストアップされているほどです)。
私自身、この「はしがき」は何度か読んでいたのですが、今回の地震の後に改めて読み返してみて、そこに書かれてある一字一句が、あたかも体に染み込んでくるかのように、理解できました。というのも、今回の地震で私も、停電騒ぎやら食料品の買い占め・不足やら断水やらを経験し、また電気もガスも水道も食料もない被災地を報道で見るにつけ、先進国では非日常的ながら途上国ではごく日常的な一種の極限状態に一時的とはいえ身を置くことを余儀なくされたわけですが、このような先進国では例外的な状況を経験をする事によって初めて、途上国の人々が日々置かれているであろう状況を、体感的に(「皮膚感覚」で)掴み取ることができたからです。
このような経験を潜り抜けた後に、翻って先進国の視点から途上国を語っている社会科学を見てみると、そこにある種の「傲慢さ」のようなものを感じないわけには、いきません。具体的に言いましょう。もしも途上国の人々の置かれた立場で考えてみるならば、とても出てこないであろう「上から目線」の議論が、先進国出自の社会科学には、やはりあります。そしてこうした「傲慢さ」は、本山先生がかつて経験したように、そして今回私が経験したように、災害というある種の極限状況の中でないと、なかなかきちんと見えて来ない(認識されない)ようです。
このように、地震と余震のなかで執筆した今回の論文は、開発学という学問のあり方や、先進国から途上国を語る際に気をつけねばならぬことなどを考え直させられる、一つの非常に大きな契機になりました。出来上がった小論は拙いものですが、私にとっては、研究上の転換点になるかもしれないぐらいの大きな意味を持ちそうです。「これから考えなくてはならないことを、たくさん発見できた」。そんな思いを持ちつつ脱稿しました。今後の研究に活かしたいと思います。
(注)「災害と開発」というのは、開発学のなかで一つの研究ジャンルになっているようです。アマゾンで検索すると、このテーマに関連した結構な数の本がヒットします。
論文の執筆中、本山美彦編『開発論のフロンティア』(同文館、1995年)の「はしがき」を何度も何度も繰り返し読みました。この「はしがき」は、本山先生が阪神淡路大震災の直後に書かれたものですが、神戸にて被災者として経験したことを素材とし、災害という一種の極限状況から途上国の人々の置かれた状況を類推的に考察した上で、近年の開発経済論のあり方を批判したものです(本そのものは開発経済論の論文集なのに、この「はしがき」のおかげで、関西では震災本の一つとしてもリストアップされているほどです)。
私自身、この「はしがき」は何度か読んでいたのですが、今回の地震の後に改めて読み返してみて、そこに書かれてある一字一句が、あたかも体に染み込んでくるかのように、理解できました。というのも、今回の地震で私も、停電騒ぎやら食料品の買い占め・不足やら断水やらを経験し、また電気もガスも水道も食料もない被災地を報道で見るにつけ、先進国では非日常的ながら途上国ではごく日常的な一種の極限状態に一時的とはいえ身を置くことを余儀なくされたわけですが、このような先進国では例外的な状況を経験をする事によって初めて、途上国の人々が日々置かれているであろう状況を、体感的に(「皮膚感覚」で)掴み取ることができたからです。
このような経験を潜り抜けた後に、翻って先進国の視点から途上国を語っている社会科学を見てみると、そこにある種の「傲慢さ」のようなものを感じないわけには、いきません。具体的に言いましょう。もしも途上国の人々の置かれた立場で考えてみるならば、とても出てこないであろう「上から目線」の議論が、先進国出自の社会科学には、やはりあります。そしてこうした「傲慢さ」は、本山先生がかつて経験したように、そして今回私が経験したように、災害というある種の極限状況の中でないと、なかなかきちんと見えて来ない(認識されない)ようです。
このように、地震と余震のなかで執筆した今回の論文は、開発学という学問のあり方や、先進国から途上国を語る際に気をつけねばならぬことなどを考え直させられる、一つの非常に大きな契機になりました。出来上がった小論は拙いものですが、私にとっては、研究上の転換点になるかもしれないぐらいの大きな意味を持ちそうです。「これから考えなくてはならないことを、たくさん発見できた」。そんな思いを持ちつつ脱稿しました。今後の研究に活かしたいと思います。
(注)「災害と開発」というのは、開発学のなかで一つの研究ジャンルになっているようです。アマゾンで検索すると、このテーマに関連した結構な数の本がヒットします。
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